母として演技力に磨きをかける 中島芙美枝


【プロフィール】

名前 中島芙美枝(なかしまふみえ)
所属 JAEプロモーション
所属期数 38期
誕生日 6月14日
出身地 福岡県
特技 チアダンス、ピアノ、日本舞踊、


【主な出演作】

◆TV◆
2016年:NTV『地味にスゴイ!校閲ガール 第4話』レポーター 役
2014年:NHK『朝の連続テレビ小説 花子とアン』嘉納家メイド 役
2013年:CX『黒い滑走路3』(監督 伊藤寿浩)CA 役
2011年:EX『海賊戦隊 ゴーカイジャー 第1話』 出演
2009年:EX『仮面ライダー ディケイド』(監督 金田治)出演
2007年:EX『女帝 第1話』出演

◆CM◆
2014~2015年:千葉銀行『千葉銀行ポスター』夏バージョン パテシェ 役

◆舞台◆
2016年:AiiA 2.5 Theater Tokyo『神様はじめましたTHE MUSICAL♪2016』(脚本・演出 秦建日子)出演
2015年:ワーサルシアター八幡山劇場『第13回JAEプロデュース公演「Family Ties ファミリータイズ」』(作・演出 西本良治郎)オムニバス1話主演
2012年:俳優座『劇団夜想会「ミュージカル誠~とびだせ新選組~」』(作 桑原譲太郎、脚本・演出 野伏翔)隊員 役
2010年:新宿スペース107『第10回JAEプロデュース公演「残侠-ZANKYO-」』(演出・原案・脚色 西本良治郎)松原智恵 役
2009年:新宿シアターサンモール『第9回JAEプロデュース公演「絆-KIZUNA-」』(原案・演出 西本良治郎)藤巻茜 役
2007年:東京芸術劇場『第8回JAEプロデュース公演「遥かなるエデン」』(企画・原案・演出 西本良治郎)主演

◆Web◆
2012年:『CKD 医療の現場』堂島医師 役

◆DVD◆
2012年:『チーミーの歌って遊ぼう』チーミーダンサーズ
2011年:『チーミーの うきうきミニテレビ 』チーミーダンサーズ

詳細な出演履歴はこちら


【インタビュー】

—–子育てが一区切りついて、俳優活動を再開された中島芙美枝さんのインタビューです。
JAEに所属される前には、千葉ロッテマリーンズのチアリーダーでご活躍されていましたよね?

プロ野球チームのチアって、どんなお仕事なんでしょうか?

中島:マリーンズのチアのお仕事は色々あって、ダンスで盛り上げるのはもちろん、観に来て下さった皆さんを球場の前でお迎えするグリーティングや、最寄りの駅からスタジアムに向かうバスでバスガイドもします。
当時は、ほぼダンス未経験で飛び込みましたが、楽しいイベントがいつもいっぱいで、刺激的な毎日でした。
2005年、マリーンズのパ・リーグ優勝が決まった瞬間は、最高に感動しました!
マリンスタジアムで優勝をかけた試合のパブリックビューイングが開催されて(試合は福岡ドーム)、集まってくださったファンの皆様と一緒に、雨の中ずぶ濡れになりながら力いっぱい応援した思い出が、今でもすごく心に残っています。

 

—–JAE所属となってから育休に入るまで、得意のダンスを生かしたお仕事を多くされていたイメージがありますが、初仕事や印象に残っているお仕事の思い出などお話いただけますか?

 

中島:初仕事では、JAEのプロデュース公演に出演させていただきました。
大先輩ばかりで、毎日とても緊張していました。
お稽古はもちろんですが、その後の飲み会でも徹底的にご指導していただいて、水割りを作るのはかなり上達しましたよ!(笑)

出演したどの現場でも、一瞬一瞬を楽しもうと思って取り組んでいますが、いつも自分のパフォーマンスに大なり小なり反省点があって、100%満足できる事は無かったですね。
一つの仕事が全て終わってみて、反省点や表現しきれなかった苦しさも込みで、後から楽しさにかわる事が多いです。

「会いに行ける歌のお兄さん」として、全国のホール、ショッピングモール、幼稚園、保育園などで活躍されている※CHI-MEY(チーミー)さんのステージで、「ダンスのお姉さん」を10年ほど担当していました。
全国各地を飛び回って、数え切れないくらいたくさんライブをして、チーミーの仲間たちと過ごした時間は家族くらいの濃さです。
大変な事もたくさんありましたが、それすらも笑って乗り越えられるような場所でお仕事出来たことは、本当に幸せな事だなと思います。
なによりも、小さなお友達のたくさんの笑顔に出会うことができましたし、一生の宝物です!(笑)

※シンガーとしてのみならず、パフォーマー、ソングライター、イラストレーター、ストーリーテラー等々さまざまな表現方法で独自の世界を展開するマルチアーティスト。

 

—–ダンスを中心としたお仕事が多かった中で、俳優のお仕事に関心をもったきっかけは、何だったのでしょうか?

中島:小さい頃から、「お芝居をやってみたいな。」っていう漠然とした思いみたいなものが、ずーっと心の片隅にありました。
今改めて思い出すと、本なども声に出して読むのが好きな子だったと思います。
でも、自分から「お芝居をやろう!」と決断する勇気はなくて。
転機は中学生の時です。
内心「演劇部に入りたい。」と思っていたんですが、なんだか少し恥ずかしくて迷ってました・・・。
すると、仲のよかった先輩が声をかけてくれて、背中を押される形で入部しました。
中学の演劇部はゆるい感じで、みんなで和気あいあいとのんびりやっていました。

高校でも演劇部に入部たのですが、中学の時とは打って変わって、ビシビシしごかれました!
毎日、足上げ腹筋200回に基礎トレーニング、ランニングからの発声練習、そこからお芝居の稽古な日々です。
顧問の先生も先輩も厳しくて、かなり衝撃的でしたが、とても充実した時間でした。

高校卒業後は、マリーンズのチア等いろいろなお仕事を経験させていただきましたが、「やっぱり、私が一番やりたいのはお芝居。」、という気持ちが強くなってきて・・・。
そのタイミングで、たまたまJAEを紹介されたのが、俳優の道に進むことを決断した理由です。

 

—–養成部での思い出など、お聞かせください。

 

中島:私は子供のころから運動は苦手で、臆病なタイプだったので・・・。
まさか大人になってから、もの凄く身体能力の高い人達に混ざって、スタントやアクションを教わる日が来るなんて、夢にも思っていませんでした!(笑)
養成部での厳しい授業をなんとか頑張れたのは、同期のみんなの優しさや講師陣の愛あるご指導のおかげだと思います。

 

—–「子供のころから運動が苦手で、臆病だった。」との事ですが、チアやダンスのお姉さんとしてご活躍されていたイメージからは想像できませんね。(笑)
どんなお子さんだったのですか?

 

中島:大人しい女の子でしたね。
外で遊ぶよりも、家で読書するのが好きでした。
1歳年下の妹は、私と正反対に怖いもの知らずで高い遊具でもガンガン登って遊ぶタイプでしたが、私は妹の様子をじっと見ているか、おそるおそる用心して遊具で遊ぶような子供でした。
幼稚園からピアノを習い始めました。中学生になるまで習っていました。

小学生の頃は、音楽番組が好きでよく見ていました。
アイドルになりきって、晩御飯ができるまで、ひたすら妹と歌いあいっこしていましたね。
お風呂でも、家族で車で出かける時も、いつも歌っていた記憶があります。

中学生では、小沢健二さんにはまっていて、いつも聴いていました。
歌詞も一言一句覚えていて、テスト中、解答終わって時間が余った時などは、解答の見直しもそこそこに、歌詞を書き出して楽しんでいました。

高校時代は、共学の高校に進学しました。数理科学コースという理系のクラスでした。
女子が5,6人しかいないようなクラスでしたので、毎日男子校にいるようなノリでした。

大学は水産系学部の食品生産学科です。研究室が冷凍工学だったので、氷の研究をしていました。
水産学部だったので、遠泳の実習が必須科目であり、かなり苦労しました。
ひたすら海を泳ぎ続けるという授業で、泳ぎが苦手な私にとっては、死活問題でした。
水泳部の先輩たちがボードで付いてきてくれるのですが、溺れない限りは助けてもらえないので、必死で頑張った思い出があります。(笑)

 

—–お仕事での失敗談とかありますか?

 

中島:仕事があるのに寝坊してしまい、今すぐにでも家を出たい時に、歯磨き粉と間違えて洗顔フォームで歯を磨いしまった時は、地味にしんどかったです。(笑)

 

—–子育てがひと段落して、これから俳優のお仕事を再スタートされるタイミングですが、今後の抱負などお聞かせください。

中島:母親になったからこそ分かった事、特別な感情があります。
それを表現できれば、いままで以上に自分の演技にも厚みや説得力が出ると思います。
そのような気持ちを、最大限に表現させていただける場を、求めていきたいと思います。
娘がごっこ遊びが大好きなので、朝起きた瞬間から夜寝る直前まで、基本的にはずーとごっこ遊びに付き合っています。
なかなかの鬼演出家で、まったく休ませてもらえないですし、ダメ出しも厳しいです。
ちっちゃい演出家さんに満足してもれるように、毎日、全力で取り組んでいますので、演技力にも磨きがかかっていますよ!(笑)

 

—–中島さんの新たなチャレンジに期待しています。本日は、ありがとうございました。

中島:こちらこそ、ありがとうございました!