富永研司 死ぬまで俳優業を続けていく覚悟です!


【プロフィール】
名前 富永研司(とみながけんじ)
所属 JAEプロモーション部
所属期数 23期
誕生日 5月9日
出身地 福岡県
趣味・特技 格闘技、ボクシング


【主な出演作】
◆映画◆
2020年:東映『仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション』出演
2016年:東映『仮面ライダー平成ジェネレーション Dr.パックマン対エグゼイド&ゴーストwithレジェンドライダー』ゲスト幹部役
2014年:東映『平成ライダー対昭和ライダー 仮面ライダー大戦faet.スーパー戦隊』ゲスト幹部役
2013年:東映『仮面ライダー×仮面ライダー鎧武&ウィザード 天下分け目の戦国MOVIE大合戦』ゲスト幹部役
2013年:東映『探偵はBARにいる2 ススキノ大交差点』(主演 大泉洋・監督 橋本一)出演

◆TV◆
2020~2021年:EX『魔進戦隊キラメイジャー1話~3話』出演
2000~2001年:ANB『仮面ライダークウガ』メインキャラクター・スーツアクター
2020年:WOWOW『連続ドラマW 太陽は動かない-THE ECLIPSE-』出演
2015年:TX『三匹のおっさん2 第1話』出演
2015年:CX『プラチナエイジ』出演
2014年:CX『金曜プレステージ 警部補・佐々木丈太郎7』(監督 伊藤寿浩)前川刑事役
2014年:EX『仮面ライダー鎧武』レギュラーキャラクター・スーツアクター
2012年:NHK『タイムスクープハンター4 第1話 贋金』 メイン役

◆舞台◆
2017年:テアトルBONBON『ヨガダンスベイビー』(演出 清水東)出演
2016年:下北沢駅前劇場『十手ガール捕物帳』(演出 清水東)出演
2013年:中野 ザ ・ ポケット『忍者桃丸伝』(演出 清水東)出演
2012年:Zepp Divercity TOKYO『TIGER & BUNNY THE LIVE』ワイルドタイガー(ヒーロースーツ)役

◆イベント◆
2016年:東京国際フォーラムホールA『THE SOUND OF TIGER&BUNNY2016』ワイルドタイガー(ヒーロースーツ)役


【インタビュー内容】

—–『仮面ライダークウガ』ではメインキャラクターのスーツアクターを演じ、2012年の舞台『TIGER & BUNNY THE LIVE』ではワイルドタイガーを演じるなど、特撮作品からドラマ、舞台、映画、ゲームのモーションキャプチャーに至るまで、多方面で活躍中の富永研司さんのインタビューです。
まずは子供の頃から、学生時代の様子についてお聞かせください。

 

 

富永:生まれは、北九州の工業地帯です。親が共働きだったので、幼いころから託児所に預けられていて、小学生の時はカギっ子でした。
当時の遊びと言えば、飼い犬と一緒に山に遊びに行ったり、棟上げ(むねあげ/建物の建築中に柱や梁、屋根などの基本構造が完成した事をお祝いする祭事)を知らせる旗をみつけて、玩具やお菓子をもらいに行ってました。
駄菓子屋に空きビンを持っていくと、お金に交換してもらえたので、金額はわずかでしたけど、そんな事でお小遣い稼ぎもしていました。

親父は地元の有名な鉄工所で働いていて、深夜勤務が多かったので、昼間はいつも家で寝ていたイメージがあります。
親父は水泳の選手だったので、私も影響されて、小学生の時は水泳部に入りました。
小学3年生の頃に「キャプテン翼」が流行っていたので、サッカー部もかけもちしていました。
この頃からTVや映画をみるたびに、子供心に「将来は俳優をやりたいなー。」と思い始めていました。
将来俳優を目指すなら、いまから格闘技を学んでおいたら役に立つだろうと思い、3年生から6年生まで近所の少林寺教室に通いました。

中学生になると、ハンドボール部に入部しました。
ポジションはサイドで、県大会まで行きました。
小学生、中学生時代は、スポーツと格闘技で体を鍛えていました。

 

—–高校生でも引き続き、俳優になる夢は持ち続けていたのですか?

 

 

富永:中学卒業後に地元の工業高校の金属加工課に入学し、メッキ技術や鋳造技術、製図などを実習していました。
今思い起こすと、この時期は俳優になる夢を忘れかけていました。
当時は全国的にバンドブームが巻き起こっていて、自分も高校1年生の後半から友達とバンドを始めて、ボーカルを担当していました。
自分達がやっていたバンドは、ハードコアパンクというカテゴリーで、そりゃもう、めちゃくちゃな曲を歌ってました!
文字通り、演奏している自分達でもなにを歌っているか分からないような曲でした!(笑)
高校卒業後は一旦、地元の会社に就職しました。

社会人をしていた頃は、趣味で車にはまっていました。
日産のスカイラインGTXに乗っていて、自分流にカスタマイズして、海が近いのでよくドライブして遊んでいました。
あのころは、仕事しながら朝まで遊ぶことがよくありました。若いとは言え、さすがに仕事中にウトウトする事もありましたけど。(笑)
最近の趣味は、自転車です。
流行りのスポーツバイクを購入して、サイクリングを楽しんでいます。

 

 

 

—–地元で就職されてから、俳優を目指そうと方向転換したきっかけは何だったのですか?

 

富永:実は、就職してから2年位で会社を辞めてしまいました。
その後、「俺、このままでいいのか?このまま九州にいていいのか?」と、自問自答する事が増えて・・・。
ある日、何かのきっかけで小学校の時に買ったアクション俳優の特集本を開いたら、そこにたまたま当時のJACの連絡先があって、そこから一気に自分が小学生の頃に俳優に憧れた日々や、スポーツや格闘技で体を鍛えていた思い出が蘇ってきて・・・。
すぐにJAC宛に手紙を送りました。「入れて下さい!」と。

後日、JACから電話があって・・・、
「養成所があるので、そこで1回勉強してください。次の春に養成所のオーディションがありますが、受験を希望しますか?」
と言われて、
「受けます!」
と即答して、当時、曙橋にあったJACの養成所でオーディションを受けることになりました。

 

—–JAC養成所のオーディション受験から、養成所での様子を教えて下さい。

 

 

富永:当時乗っていた愛車を売り、それを資金として東京に行きました。
オーディション受験が決まってからは、連日、走って、筋トレして体を鍛えまくりました。
無事に合格すると、身の回りの荷物だけ持って上京しました。
東京にきてからは、総合格闘技もやり始めました。

養成所に入ると、マット運動、現代殺陣、時代殺陣、少林寺、ダンス、演技のクラスがありました。
最初の半年間は土日の授業。新宿で弁当の配達のバイトをやりながら通いました。
クラスがスタートした当初は、確か同期生が200人位いたと記憶していますが、翌週にはいきなり半分になって、卒業時期には20-30人位しか残りませんでしたね。
とにかく、厳しい授業でした。
壁倒立や腕立てなどは、一人が途中で倒れたら連帯責任で、また初めから再スタートとなるわけです。
自分は覚悟して地元で鍛えていたので、基礎体力の訓練では、絶対に負ける事はなかったです。
大事な愛車を売って、その大事なお金を資金として授業料を払って東京で勝負していたので、「絶対やりとげる!」と思っていました。

 

 

—–厳しい養成所生活を経て、初仕事はどんなものでしたか?

 

富永:初仕事は、養成部時代でした。卒業前に、現場に出ていました。
内容はTVの2時間ドラマへの出演で、タイムスリップするヤクザの話で、襲名式の若い衆役で出演させていただきました。
その後は、東映TVプロダクションの特撮の戦闘員役などをやっていました。
当時は、撮影現場のスタントの補助までやっていました。今では、考えられないですけど。
そんな現場体験もしつつ、養成部を卒業し正式にメンバーになりました。

卒業後は、後楽園の野外劇場か日光江戸村、北海道伊達登別時代村もしくは、伊勢戦国時代村の4択でした。
自分は後楽園を希望しましたが希望が叶わず、日光江戸村に行くことになりました。
江戸村では全寮制で、朝から晩までメンバーやスタッフと一緒に生活していました。
仕事のメインは、江戸村内での忍者ショーの出演でしたが、時々、地方での公演にも参加していました。全国を廻りました。
自分の青春時代(20代)は、日光江戸村にあったと言えると思います。

 

—–富永さんと言えば、平成初の仮面ライダーシリーズ、『仮面ライダークウガ』でメインキャラクターのスーツアクターを演じられましたが、どのような経緯で出演される事になったのですか?また、実際に演じられて感じた事など教えて下さい。

 

 

富永:『仮面ライダークウガ』出演が決まる前は、海外で『パワーレンジャーショー』などに出演していました。
ある日、事務所から連絡を受けて東映様に行くことになり、あまり詳しい事は聞かされぬままオーディションのような事をした後、金田社長から「仮面ライダークウガのメインキャラクター役に決まったぞ。」と言われました。
突然の展開でしたが、当時はとにかく責任の重さを感じて、ケガをせずに激しいアクションをしなければならないと思いました。
伝統ある仮面ライダーシリーズのメインキャラクターを演じるというのは、実際に演じた経験者でないと分からない辛い事、苦労、注意すべき事、そして爽快感があると思います。

 

—–今はどんな仕事をされていますか?差支えない範囲で、教えて下さい。

 

富永:近々にアニメ化を予定されている作品で、かなりマニアックな格闘技をベースにした作品のモーションキャプチャーのお仕事をしています。
映像になった際の魅せるアクションも表現しつつ、しっかりリアリティを出せるように心がけています。

 

—–今後の富永さんの抱負など、お聞かせください。

 

富永:これからも、死ぬまで俳優業を続けていく覚悟です!皆様のご声援にお応えできるよう、精進してまいります!

 


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