神尾直子 がんばればきっと表現できる!


【プロフィール】
名前 神尾直子(かみおなおこ)
所属 JAEアクション部(東京)
所属期数 17期
誕生日 11月16日
出身地 静岡県
趣味・特技 中国武術/ソフトボール


【最近の主な出演作品】
◆TV◆
2020~2021年:EX『魔進戦隊キラメイジャー』クランチュラ
2019~2020年:EX『騎士竜戦隊リュウソウジャー』クレオン
2018~2019年:EX『快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー』ドグラニオ・ヤーブン
2017~2018年:EX『宇宙戦隊キュウレンジャー』コグマスカイブルー
2016~2017年:EX『動物戦隊ジュウオウジャー』ジニス役

◆映画◆
2020年:東映『がんばれいわ!!ロボコン ウララ〜!恋する汁なしタンタンメン‼の巻』ロボコン役
2016年:東映『劇場版 動物戦隊ジュウオウジャー ドキドキサーカスパニック!』ジニス役
2015年:東映『手裏剣戦隊ニンニンジャーVSトッキュウジャーTHE MOVIE忍者・イン・ワンダーランド』アクションクルー
2014年:東映『烈車戦隊トッキュウジャーTHEMOVIEギャラクシーラインSOS』アクションクルー
2013年:東映『劇場版 獣電戦隊キョウリュウジャーガブリンチョ・オブ・ミュージック』ラッキューロ

◆コンサート◆
2015年:エコパスタジアム『ももいろクローバーZ 桃神祭2015』アクションクルー
2014年:日産スタジアム『ももクロ夏のバカ騒ぎ2014 日産スタジアム大会~桃神祭~』アクションクルー


【インタビュー】

—–今回は、7月31日に公開された映画『がんばれいわ!!ロボコン ウララ〜!恋する汁なしタンタンメン‼の巻』でロボコン役スーツアクターを担当された、神尾さんのインタビューです!
早速ですが、前作の『燃えろ!!ロボコン』(テレビ朝日/1999年放映)から再び新作映画でロボコンを演じられて、いかがでしたか?

 

 

神尾:ありがたい事に、今回もロボコン役をやらせていただきました。関係者の皆様、本当にありがとうございます!
そして、石田監督との久しぶりの撮影が、とても楽しかったです!
新しいおうちでのロボコンのがんばりを、皆さん是非見てください!

 

—–お子さん時代の様子を聞かせてください。

 

神尾:小さい頃から、「落ち着きのない子」だったようです。(笑)
祖母に面倒を見てもらう事が多かったのですが、いつもお昼頃になると自宅からいなくなり、近所で遊んでいる!なんてことが多くて、祖母がいつも慌てて探し回っていたそうです。
ついには保育園に入れられてしまったのですが、今度は、保育園のお迎えの時間になって迎えに行っても私が見当たらなくて。
気づくと私が近所の神社の境内で遊びまわっていたと、祖母からよく聞かされました。

子供の頃から、スカートよりもジャージ派でした。三姉妹なのですが、私だけいつもズボン。
スカートを履いた記憶があるのは、中学、高校の制服ぐらいですね。(笑)
小学校時代は、5年生から陸上部に入部しました。
中学では、ソフトボールをやってみたいと思っていたのですが、部が無くて諦めました。それで体操部に入りました。
体操部が、新入生向けの部活紹介で色々と演技をみせてくれて、すごく魅力的に感じたのが入部の理由です。
それから、子供の頃からスーパー戦隊シリーズをTVで見ていたので、密かに「ヒーロ達と同じようなアクションができたらいいなー。」と思っていたのも、入部の動機になったと思います。

そして高校生になって、やっと念願が叶いソフトボール部に入部できました。
私に与えられたポジションは、ライト。楽しかったですねー。でも、かなりの体育会系体質で上下関係がすごく厳しかった記憶があります。
そのおかげでJAEの養成所時代も、メンバーになってからも、礼儀作法は問題なくできたと思います。

 

—–神尾さんは、オフの時間はどんな過ごし方をされているのですか?

 

 

神尾:私は、ゆるキャラが好きなんです。
スケジュールさえ合えば、ゆるキャライベントにも行きますよ。
昨年も「ご当地キャラクターフェスティバルinすみだ2019」にいきました。今年は残念ながら中止になってしまいましたが、毎年、行ってました。
ゆるキャラの中でも、私のイチオシは『いが☆グリオ』くんです。三重県の伊賀市観光大使として活躍しているキャラクターです。
毎年秋に上野公園で、『伊賀上野NINJAフェスタ in 上野恩賜公園』が開催されていて、休みが取れれば『いが☆グリオ』くんに会いに行っています。
秋葉原を拠点に活動している、『ちょうせい豆乳くん』、もお気に入りです。

今年はコロナ感染拡大の影響で、ゆるキャラのイベントや、通っていたジムにも行けない状況が続いていましたので、自粛期間中は、夫(福沢博文/アクション俳優/レッド・エンタテインメント・デリヴァー所属)と、よく家の周りを散歩していました。
最近だと、仕事終わりで銀座から池袋まで歩いて帰った事もありましたね。散歩をしていると、景色や周りの変化を感じられるので、楽しいですね。

有料動画配信サイト等で、夫婦そろって新しいアニメやドラマを見ています。医療もの、推理ものとか好んで見ています。
自粛期間中は、韓国ドラマの『愛の不時着』を見ていました。
1話あたり70分以上あってちょっと長いのですが、韓国女性と北朝鮮将校の間に芽生えたロマンスを描いた作品です。
あとは、アクション物、青春もの、ホラーもの等も夫婦で見る事が多いです。
夏にはJAEメンバー達と、稲川淳二さんのトークライブ『怪談ナイト』も行ってますね。

結局、夫とは仕事現場でも一緒にいる事が多いので、夫婦で仕事帰りの買い物とか、JAEメンバー16期の竹内康博さんや横山一敏さん達とキャンプへ行ったりしています。キャンプでは、男性陣が釣りに行っている間、自分はベースキャンプで後輩達と昼食の準備をして待っています。
仕事柄、平日に休みを取る事が多いので、混雑を避けてレジャーを楽しめるのがありがたいです。

 

—–神尾さんが、お仕事として俳優を目指そうと思ったきっかけ、JAE養成部を受験しようとしたきっかけ等を教えてください。

 

 

神尾:中学生の時に、友達と映画『野菊の墓』(主演:松田聖子)を見に行きました。
その時、同時上映されていたのが真田広之さん主演の『吼えろ鉄拳』でした。
2本の映画を見終わって、私にとってはすごく『吼えろ鉄拳』と告知ポスター(真田さんの上半身はだか、拳をぐっと構えた姿)が印象に残ったので、一緒に映画を見に行った友達に色々と真田さんに関する質問を浴びせました。
当時、スーパー戦隊シリーズも欠かさず見ていた私にとっては、両作品が同じ芸能事務所(JAC/ジャパンアクションクラブ)の俳優さんで演じられている事を知り、職業としてすごく興味を持ちました。

後日、友達がJAC養成所の募集記事を持ってきたので、中学3年生の時でしたけどJAC養成部14期に応募しました。
残念ながら私が応募した時期は、すでに2次審査が終わっていたので、事務所の方から、「また来年応募してください。」と言われてしまいました。
そこで、養成部15期のオーディションに応募しようと思いましたが、高校入学が決まっていたので、親に許してもらえませんでした。
続く16期も親に許してもらえず。
そしてやっと高校卒業時の17期養成所オーディションに願書を提出する事ができました。
ただそれも親からの条件付きで、「会社に就職するなら良い。」と言われていましたので、東京の会社に就職して働きながら2年間、養成所に通いました。
(当時の養成期間は2年。現在は1年となっています。)

 

—–どんな養成所時代をすごされましたか?

 

神尾:稽古が始まった当初は、周りの仲間に注意しながらでないと木刀が振れないくらい、ギュギュウに人が多かった事を覚えています。
ところが、稽古が厳しくて毎週のように人が減っていきました。夏の合宿、冬の合宿を経ると、益々人が減っていきました。
2年目は平日の稽古に変わり、大幅に人も減り、当初は複数あったクラスも、A、Bの2クラスだけになっていました。
平日の稽古に変わってからは、会社で働くことも出来なくなりましたので、1年で会社を退職しました。アルバイトしながら稽古に通う生活です。
身体的にも金銭的にも辛くて厳しい日々でしたが、自分の夢をかなえるために歯を食いしばって稽古を続けました。

同期とは、厳しい稽古をくぐりぬけてきた仲間でしたので、「皆でがんばろうよ!」という、楽しくて良い雰囲気でした。
1年目の稽古は、日本体育大学体操部出身の講師の方にマット運動を教えていただき、アクションは井上清和さん(元JAC所属)澤田祥二さん(元JAC所属)に教えていただきました。
時代殺陣は横山稔さん(元JAC所属)、大葉健二さん(元JAC所属)、村上潤さん(現JAEアクションディレクター東京所属)が講師でした。
2年目からは、マット運動に加えてアクロバットや手乗り組体操などをやっていました。
私は、ジャズダンスの授業が苦手でした。
稽古は厳しいですが、講師の皆さんからの指導は的確でしたし、とても理解しやすいものでした。

 

—–JAEメンバーとして所属が決定してからのお仕事や日々の稽古でのエピソードを教えてください。

 

 

神尾:初仕事は、後楽園の野外劇場で、ステージ裏の見学からはじまり、喜多川2tomさんの着替え補助をさせていただきました。
着ぐるみでの初めてのお仕事は、横浜博覧会(1989年開催)の住友館で流す映像へ、モグラのキャラクター役で出演しました。京都のスタジオまで撮影に行ったのを覚えています。
初舞台は後楽園の野外劇場で、先輩の代役として出演させていただきました。
『高速戦隊ターボレンジャー』ショーでは、敵の幹部役をいただいたのですが、顔出しで演じたので恥ずかしかったですねー。

スーツアクターを始めた当初は、「お芝居をする」という意識が足りなくて、「アクション」だけ出来ればいいと勘違いしていました。
それから、
カメラリハーサルの時にも仮面を着けていないと恥ずかしくて上手く演じられない位でしたので、「リハーサルは面を外せ!」って注意された事もありました。
撮影現場で、先輩の横山一敏さんや、蜂須賀祐一さん、岡元次郎さん、高岩成二さん達の演技をみて、仮面を着けていてもいなくても、アクションだけでなく芝居できることも重要なんだと実感しました。
撮影現場では、私が一番下の後輩だったので、先輩に助けてもらった事が多かったです。

共演者がお子さんの時も、恥ずかしがらずに接しなければいけないと思いました。
今は、お芝居をずいぶんやってきたし、考え方も変わったので楽しいですよ。
顔を出すのが苦手だった私が、いまや鼻と口元を赤く塗って半分顔を露出させながらクランチュラ(魔進戦隊キラメイジャー・敵幹部)をやっていますから。
クランチュラでは、アクションとお芝居に加えて、声優さんの声と自分の口の動きを合わせるという事も経験しています。

 

—–女優を仕事にする際、どのような経験、準備、気持ちを持つ事が必要でしょうか?

 

 

神尾:「やりたい!」という気持ちが、一番大切だと思います。大変な仕事だから、好きじゃないとできない。
私も、キャラクターをやりたいと思い、養成所に入所してメンバーになりました。

下積み生活は必ずありますし、怒られたり、わからない事、覚える事もたくさんあります。
でもいつか、「そこに行ってやる!(上に行ってやる)」という強い気持ちを持ち続ける事が大切です。
私がメンバーに入ってキャラショーをやっている時、メインの役をやりたくてアピールすると、何度となく周りの人から「小さいからなぁ。」と言われました。
悔しい思いもしましたけど、ある日、当時の殺陣師だった竹田道弘さん(現:JAEアクションディレクター)が使ってくれて、せっかくもらったチャンスだからと逃さずがんばって、その後も継続して出演させていただけることになりました。

スーツアクターとしてヒーローを演じる事に、どれだけ体力が必要か?よく考えて欲しいですね。
アクションやお芝居以前に、演じられるようになるまでの体力が必要です。
お客様に披露できるレベルのものは、そんな簡単に出来るようになりません。
私達の頃は、養成所で2年間稽古できましたけど、今は1年で稽古して現場に出ていかなければなりません。
2年あれば、バク転、トランポリン、アクションもある程度出来るようになりますが、1年ではなかなか難しいので、現場で仕事をしながら自分のスキルを高めるための稽古が必要になります。
そういう意味では、今の人たちのほうが、条件が厳しいですよね。2年でやっていた事を、1年でやらなければならないから。

スーツアクターや俳優を目指すなら、基礎体力があるほうが良いです。
せっかくですから、後輩や新人の皆さんと一緒に仕事出来るようになりたいです。
現場で余裕があれば、後輩の皆さんにも色々と教えてあげられますが、余裕がないほうが多い。(笑)

 

—–今後の抱負などありますか?

 

神尾:今の仕事を、できる限り続けたい。スーツアクターを続けたいです!

 

—–最後に、ファンの皆様に、なにかメッセージ、コメントなどいただけますか。

 

神尾:いまいただいているお仕事を一生懸命がんばって、みんさなんに楽しんでいただけるようにします!
私達が作り上げた作品を、好きでいてくれる方がいらっしゃるのはありがたいですし、私と同じ仕事を目指す方がいらっしゃるのも嬉しいです!
決して楽な仕事ではないですが、どんな仕事でも楽はないと思います。
がんばれば、きっと表現できるようになります!


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