伊藤俊 舞台での暗躍ぶりにご注目ください!


【プロフィール】
名前 伊藤俊(いとうしゅん)
所属 アクション部(東京)
所属期数 28期
誕生日 2月24日
出身地 愛知県
趣味・特技 機械体操


【主な出演作】
◆舞台◆
2019年:シアターGロッソ他『ミュージカル「忍たま乱太郎」第10弾~これぞ忍者の大運動会だ~』ドクタケ忍者隊 参役
2018年:博多座他『日本テレビ開局六十五周年記念舞台 魔界転生』アンサンブル
2017年:EX THEATER ROPPONGI『もっと歴史を深く知りたくなるシリーズ~桃山ビート・トライブ~』アンサンブル
2016年:新国立劇場/他『真田十勇士』アンサンブル
◆映画◆
2018年:東映『パンク侍、斬られて候(主演:綾野剛・監督:石井岳龍)』腹ふり衆役/アクションクルー
2016年:松竹『真田十勇士 (監督:堤幸彦)』アクションクルー
2014年:キングレコード『ヌイグルマーZ』ゾンビ役
◆TV◆
2020年:CX『絶対零度 未然犯罪潜入捜査』9話テロリスト役
2016年:EX『ロンドンハーツ』ショッカー役
2016年:TBS『神の舌を持つ男』徳井優吹替え/村人役
2016年:NHK『連続テレビ小説「とと姉ちゃん」』闇市の人役


【インタビュー内容】
—–ミュージカル『忍たま乱太郎』第11弾~忍たま 恐怖のきもだめし~に「ドクタケ忍者隊 参」役でご出演予定の、伊藤俊さんのインタビューです。
まずは、伊藤さんの子供時代についてお話ください。

 

 

伊藤:僕は兄弟4人の末っ子。ひとつ上のお兄ちゃんがいるので、その背中を観て育ちました。
文武両道、負けず嫌いの万能な兄だったので、学校では兄のおかげもあって、「あいつの弟かぁ。」という感じで、友達や先輩から可愛がられてました。

小学校では陸上部に入りましたが、そのほかにも水泳部、体操部、バスケット部を掛け持ちしていました。
身長は低かったですけど、子供の頃から運動神経が良かったらしくて、各部の顧問の先生から声をかけられて参加していました。
体操部では鉄棒が得意でしたけど、ユニフォームが体にピッタリしていたので、僕はカッコ悪くて嫌でした。(笑)
家に帰ると、布団の上で独学で器械体操を練習していましたね。。だって、体操できると、かっこいいじゃないですか?
これがモチベーションになっていました。(笑)

中学でも体操を続けて、県大会出場レベルまで上達しました。
仲間と一緒に、体操のビデオを擦り切れるまで見て練習しましたけど、県大会に出て、周りの学校とのレベル差を一気に感じましたね。
技術とか、体格とか筋肉の付き方とか、僕らとレベルが全く違うのでショックでした。
当時、体操でオリンピックに出場された具志堅選手が僕らの学校に教えに来てくれましたが、レベルの高い練習をするには学校の設備が十分ではなかったらしくて、「この設備では、難易度の高い技をやるのは難しいな。」と、具志堅選手が言っていたのが印象に残っています。

 

 

高校生では、体操部に入部しましたが、途中からバンドにはまり仲間とバンドを組んでドラムをやっていました。
音楽のジャンルはパンクバンドでしたが、よくブルーハーツをコピーしていました。(笑)
勉強やらずに、音楽にはまっていました!

 

—–高校卒業から社会人時代について教えて下さい。

 

伊藤:高校卒業後、将来は芸能系の仕事に携わりたいと考えていたので、音響映像系の専門学校に通いました。
専門学校卒業後は、地元に帰って実家の稼業を手伝っていました。

20代の時に、アメリカ人と友達になったので、その人をボーカルに据えて、洋楽、ブルースなどまでジャンルを広げてバンド活動を再開して、いろいろな音楽に出会うきっかけになりました。
その他、バイクでツーリングなどしていました。

 

—–本格的に俳優を目指したきっかけを教えて下さい?

 

伊藤:行きつけの飲食店のオヤジさんに、「そろそろ真剣に、自分の将来の職を考えたほうがいいんじゃないのか?」と諭されまして、いろいろ思いを巡らせている中で、「スタントマンってかっこいいな!」と直感し目指すことにしました。
思い起こすと、育った環境の中で自然と、ブルースリーとか、北斗の拳とか、アクションの魅力が刷り込まれていたので、それが直感的に閃いた原因かもしれません。

 

—–スタントマンを目指そうと閃いてからは、どのように行動されたのですか?

 

 

伊藤:当時、スタントの会社として頭に浮かんだのは、JACと高橋レーシングさんでした。
電話の104で調べて(NTTの電話番号案内サービス)、JACの電話番号がわかったので、すぐに電話しました。
JACに電話した際、対応してくれたのが、現在のJAE養成部の岩本コーチでした。
電話したあとすぐに履歴書を送り、その年の養成部オーデションに加えていただきました。
オーディション日が決まり、健康診断を病院に受けにいと、看護師さんから「え!JAC受けるの!」と驚かれて、ちょっと浮かれてました。
「JACって、そんなに有名なんだ!」って。

当時、オーディション会場に来ていた他の受験者をみたら、みんなすごそうな人ばかりで、すごく緊張したことを記憶しています。
オーディションでは、先輩たちがアクションのからみで協力してくださり、現代殺陣を実演しました。
複数回、いろいろなシチュエーションで殺陣をやりました。
受験後は実家に帰りましたが、後日、郵送で合格通知を受け取る事ができました。

 

—–誰もが「養成所は厳しかった。」とおっしゃっていますが、伊藤さんはいかがでしたか?

 

伊藤:養成所では、やることなす事すべてが新鮮でした。
仲間にも恵まれていて、東京も楽しいし、稽古も楽しいし、なにやっても楽しかった思い出があります!(笑)
この頃に、「スタントはお芝居なんだ!」という気づきがありました。
補強運動、筋トレをやっていても、常にコーチから「苦しい顔するな」と言われて!
はじめは意味がわからなかったですが、後々、それも芝居、表現なんだと理解できるようになりました。

いつも授業中に心掛けていたのは、リアルに近い(見える)表現です。
やられた時のリアクション、派手にやられる、綺麗にやられる、リアルではそうはならないけど、表現にはこだわっていました。
と言っても、当時はまだアマチュアレベルですから、形じゃなく、何事も気持ちでやっていました。
時代殺陣、現代殺陣、乗馬、ジャズダンス、中国拳法、少林寺拳法、器械体操、演技などの授業がありました。

当時は、いろいろな教えを講師の皆様から受けましたが、正直、当時は理解できない事も多かったです。
今だからこそ、理解できるようになりました。

 

—–デビューから現在までのご活躍内容を教えて下さい。初仕事の思い出や、印象に残っている現場などありますか?

 

伊藤:養成所の頃に、事務所のプロデュース公演がスタートしていまして、その1作目「GEKITOTSU」に、アンサンブルとして出演させていただきました。アクションのからみで先輩と共演させていただきました。これが、初仕事でした。
とてもラッキーでしたね。早々に舞台を経験させていただけましたので。

私は、アクロバットの仕事が多かったです。学生の頃から器械体操の経験があったので、役作りに役立ったのだと思います。
知人が出演する小劇場に、友情出演させていただく機会が多かったです。
役もいただき演技中心に経験しました。アクションの要素も要求されたので、それに応える形で出演していました。
当時は、JAEでもメンバーの有志が集まって、小劇場で舞台公演をやっているような時代でした。
専門はアクションですが、それ以外の分野からも経験や知識を吸収したいと考えていた時期でした。

 

—–今後の出演作品情報など、教えて下さい。

 

伊藤:ミュージカル『忍たま乱太郎』第11弾~忍たま 恐怖のきもだめし~に出演予定です。
原作がアニメで、笑って泣ける、忍者コメディ舞台です。
わちゃわちゃして、ドタバタして、ギャグ大盛りで楽しいですよー!
今まで私がやってきた、お芝居、アクション、ダンスの集大成的な作品です。
私は、忍術学園を乗っ取ろうと画策する、ドクタケ忍者隊の一員として舞台中を所狭しと暗躍します!
是非、私の暗躍ぶりに注目してください!

 

—–これからの抱負など、お聞かせください。

伊藤:デビュー以来、舞台を中心にお仕事をさせていただきました。
これからも益々レベルアップして、お客様に喜んでいいただける、面白くて楽しく、感動していただけるような演技を披露できるよう、稽古に励みたいと思います。
これからは、演技の幅を広げていきたいと考えているので、映画やテレビなど映像作品の現場にもチャレンジしていきたいです!
今後とも、応援よろしくお願いします!

 


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