縄田雄哉 全てのファンの皆様に感謝を込めて!

 


【プロフィール】
名前 縄田雄哉(なわたゆうや)
所属 アクション部(東京)
所属期数 34期
誕生日 9月17日
出身地 福岡県
趣味・特技 殺陣、スタント、トランポリン、サッカー


【主な出演作】

◆映画◆
2020年:東映『劇場版 仮面ライダーゼロワン REAL×TIME』(監督 杉原輝昭)仮面ライダーゼロワン 役
2020年:ワーナー・ブラザース『ぐらんぶる』(監督 英勉)アクションクルー
2020年:東映 『仮面ライダージオウ NEXT TIME ゲイツ、マジェスティ』(監督 諸田敏)仮面ライダーゲイツ 役
2019年:東映『仮面ライダー 令和 ザ・ファースト・ジェネレーション』(監督 杉原輝昭)仮面ライダーゼロワン、ゲイツ 役
2018年:東映『仮面ライダーアマゾンズ THE MOVIE 最後ノ審判』(監督 石田秀範)アマゾンネオアルファ 役
2016年:東宝『暗殺教室~卒業編~』(監督 羽住英一郎)北条の部下、自衛隊員 役
2016年:東映『帰ってきた手裏剣戦隊ニンニンジャーニンニンガールズVSボーイズFINAL WARS』(監督 竹本昇)アクションクルー
2016年:東映『仮面ライダー1号』(監督 金田治)アクションクルー

◆TV◆
2019~2020年:EX『仮面ライダーゼロワン』仮面ライダーゼロワン 役
2018~2019年:EX『仮面ライダージオウ』仮面ライダーゲイツ 役
2016~2017年:EX『仮面ライダーエグゼイド』仮面ライダーゲンム 役
2021年:EX『相棒 season19 元旦スペシャル』アクションクルー

◆舞台◆
2018年:IHIステージアラウンド東京『劇団☆新感線『髑髏城の七人』season極』(作 中島かずき・演出 いのうえひでのり)アンサンブル
2017年:IHIステージアラウンド東京『劇団☆新感線『髑髏城の七人』season花』(作 中島かずき・演出 いのうえひでのり)アンサンブル
2017年:IHIステージアラウンド東京『劇団☆新感線『髑髏城の七人』season風』(作 中島かずき・演出 いのうえひでのり)アンサンブル
2016年:新橋演舞場/他『劇団☆新感線春興行 いのうえ歌舞伎《黒》BLACK「乱鶯」』(作 倉持裕・演出 いのうえひでのり)アンサンブル
2015年:ラスベガス『KABUKI SPECTACLE』(振付 尾上菊之丞・脚本 戸部和久)アンサンブル
2015年:新橋演舞場/松竹座『歌舞伎NEXT 阿弖流為』(作 中島かずき・演出 いのうえひでのり)アンサンブル


【インタビュー内容】

—–2019年には仮面ライダーゼロワン役を演じられて、現在も特撮ヒーロー作品でご活躍の縄田雄哉さんのインタビューです。
まずは、現在の主なお仕事の内容をご紹介ください。

縄田:舞台、TV、映画と色々な現場で活動しています。
ここ最近は、仮面ライダーの変身後を演じています。
変身前の俳優さんと役作りのための意見交換を密にして、一人の人物を2人で演じています。
よく面の中で台詞を喋っているのかと聞かれるのですが、もちろん台詞を喋って芝居しています。
監督から求められることは、変身前も変身後も変わりはありません。
ただ、面を被ってるかどうか。もちろん面に表情を出す為にテクニックは必要ではありますが、一俳優として演じています。
僕にとって映像でここまで芝居出来る環境は今までになく、本当に充実していてやり甲斐を感じています。

 

—–オフはどのように過ごしているのでしょうか?趣味とかありますか?

 

縄田:趣味は映画鑑賞や舞台観劇ですね。
仕事柄、先の予定がわからず人気舞台のチケットなど予約出来ませんが、見たい舞台は基本当日券を2時間以上並んで観てます。
意外とキャンセル待ちで良席で観れることもあり、当日券はオススメです。

あと、ポケモンGOは1年以上続いてますね。
ポケモンはゲームもした事ないですし、アニメも見たことなかったのですが、後輩の中田に誘われて始めたら意外とハマって今でも続いています。
同時に神前も始めたのですが、3人でLINEグループまで作って、珍しいポケモンを手に入れたら報告しあってます!(笑)
そうやって皆でワイワイしてるのが楽しんでしょうね!多分一人だったら続いてないだろうし。。。

 

—–それでは、縄田さんがどのような経緯で俳優になったのか?時代をさかのぼって、順にひも解いていきたいと思います。
はじめに幼少期、縄田少年について教えてください。

縄田:小さい頃から、活発な子供でしたね。
幼稚園から帰ったらすぐに家を飛び出して、家の前の駐車場で兄弟も一緒に近所のみんなで野球をしたり、ろくむし(クリケットを原型とする遊び)をして遊んでいました。
駐車場に遊ぶ相手がいなくても、一人で近所の公園をはしごして、どうにかして遊び相手を探していました。
小学校に入ってからは学校の友達とドッチボールをよくしてましたね。
なので、家で遊んだ記憶が極端に少ないです。

習い事は、幼稚園から小学校5年生までスイミングスクールに通い、ボーイスカウトにも所属していたので、週末はキャンプやボランティア活動をしていました。
今でも木材とナイフ、マッチ1本があれば火起こしは出来ると思います!
ロープワークも今の仕事(ワイヤーアクション)の基礎になってますね。

小学校5年生からは少年サッカー部に所属して、それからはもうサッカー一色でしたね。
休みの日もサッカーばっかりやってました。
チームの中で一番持久力があり、相手チームのエースをずっとマークする役目を任されて、エースキラーと呼ばれてました。

体育の授業で跳び箱の課題が隔週で1ヶ月くらいあったのですが、初日に課題の技を全部クリアしてしまったんです。
けど、みんなが1ヶ月かけて1つ1つ技をクリアし上達してる姿をみて、出来なかったことが出来るようになる方が素敵だと思い、僕も出来てた技を出来ない“ふり”をして、難しい技に悪戦苦闘してる“ふり”をし、なんとか達成して上達した“ふり”をしてました。
今考えると、あの時間は本当に無意味だった。(笑)

 

—–好きな番組とか、憧れたヒーローなどいましたか?

 

縄田:幼稚園の頃は、兄の影響で「聖闘士星矢」の真似をしてましたね。
必殺技のポーズはもちろん真似してましたし、兄と聖闘士戦士になるためうんていの上を歩いたり、すべり台を逆走したりとオリジナルの“修行”をしていました。
あと、「仮面ライダーブラック(RX)」ですね。兄とよくブラックVSシャドームーンで戦ってました!
新聞紙でリボルケインを作って、シャドームーンは機械っぽく効果音付きで動いてましたね!

中学時代は、「ダウンタウンのごっつええ感じ」は毎週見てました。
漫画は「行け!稲中卓球部」。クラスのみんなもその話題ばかりで、よく真似してふざけ合ってました。
この頃は何にでも影響されやすかったですね。
友達が良いと言ったら何でも真似して、深夜にプロレスをみるようになったり、試合も見た事ないのにロベルト・バッチョのポスターをはったり。
本当に興味があったのは何だったのだろう?

 

—–中学時代も、運動はされていたのでしょうか?

縄田:小学生から引き続き、中学でもサッカー部に入部しました。
サッカー部で顧問の先生に、「この試合に負けたら坊主!」と言われ、みんなで必死に戦いました。
結果、後半の終了直前にみんなの気持ちが焦ってる中、僕の蹴ったロングシュートが決まり、チームのみんなから「坊主から救った英雄」と感謝された事は今でも覚えてます。

中学2年の後半から生徒会に入り、僕は文化専門委員長という役員で、生徒で制作する新聞や、掲示板の管理をしていました。
後輩の新1年生が入学してきた最初の頃に、新入生へ向けて生徒会メンバーで劇を交えて学校のルールを説明するオリエンテーションがありました。
劇中、掲示板のポスターを破ったりルールを守らない生徒がいたら注意するのですが、その時「セーラームーン」の曲が入って、髪を結んだ僕が登場し“ルールを破ったら月に変わってお仕置きよ!”って、おふざけを入れながら説明し、面白おかしく無事オリエンテーションを終えたんです。
そしたらなぜか、それを機に1年生の女の子から何度か告白されまして、セーラームーンで人生初のモテ期を迎えました。
本当に何で?!って思いました。(笑)

 

—–今でも女性ファンの多い縄田さん。すでにその片鱗が、中学生で発揮されていたんですね!
高校でも、さぞやモテたのではないですか?

 

縄田:高校で初めて付き合った彼女とは手も繋ぐことも出来ず、めっちゃシャイでした。
結局3ヶ月で振られ、半年くらい引きずってましたね・・・。
ちなみに中学の時は告白に1時間かけて、無事付き合っても意識しすぎて何も喋れず、2週間で振られました!(笑)

 

—–めっちゃシャイだった縄田さんは、どんな高校時代を過ごされたのでしょうか?

縄田:高校は建築科に入学しました。
元々は美術が好きだったのですが、建築にも美術と共通するところがあると思い専攻しました。
とはいえ建築家になるつもりもなく、卒業出来ればいいと思って入った高校でした。(笑)
ですが、せっかくの機会だから国家資格を取ろうと、在学中に「ニ級ボイラー技士」、「第ニ種電気工事士」、「危険物取扱者」の資格を取りました。

修学旅行は、沖縄に行きました。
琉球グラスを作ったり、コブラVSマングースには興奮しました。
そして最終日は浜辺でカラオケ大会があったのですが、普段大人しく目立ったことを全くしない友達がソワソワしてたので、歌いたいんだと思い背中を押したら何度か押し問答があったものの最終的にはステージに上がって・・・。
反町さんのPOISONを歌いあげ、クラスの皆がめっちゃ盛り上がったことが一番の思い出です。
目立たなかった友達も歌い終わりにはキラキラしてていい顔でした!
ちなみにそういう場で僕は絶対歌いません!(笑)

高校卒業後は。調理の専門学校に進学しました。
ボーイスカウトに所属しててキャンプで料理を作ることが多く、その時に大人の方に料理の腕を褒めて貰えた事が嬉しくて、料理が好きになり調理人になる事が夢でした。
中学生の頃は、「高校受験をせずに卒業したら板前になる!」と言っていましたが、さすがに親や先生に止められて高校に進学しました。
中学卒業後に板前の道を選んでいたら、今の僕はなかったでしょうね。

 

—–いつごろから、俳優の道を目指そうと思ったのでしょうか?なにか、きっかけがあったのですか?

 

縄田:小学校から中学まで、ずっとサッカーを続けてきましたが、高校にはサッカー部がなくて帰宅部でした。
ただ高校がバイトOKだったので、バイトを探すことになりまして。
当初希望していた居酒屋のバイトが全然決まらなくて、“繋ぎとして”幼馴染が入っていた登録制のバイトを紹介してもらいました。
それがヒーローショーのバイトでした。

ヒーローショーのバイトがどんなものか?
最初はよく理解していなくて、「ヒーローショーをやっている人達って、ヒーローオタクやマニアの集まり?」くらいのイメージを持ったまま面接を受けました。
ところが、いざ蓋を開けてみたらバリバリの体育会系で、しかも先輩がイケメンで女性も綺麗な方ばかりで!
皆さんアクションがかっこよくて、自分が勝手に抱いていたイメージが見事に覆りました。
それからは生活が一変!
毎週2回の稽古、週末はリハーサルと現場!
まさにヒーローショー中心の生活となり、高校〜専門学校在学中に5年間続けたヒーローショーが、僕にとっての青春となりました。

バイトでヒーローショーを始めた頃は、将来、俳優を目指そうとは全く考えていませんでした。
専門学校に入り就職を意識する頃、先輩達がUSJのアクターになったりと、ヒーローショーで培った経験を活かしプロで活躍してる姿に刺激を貰い、僕もプロを意識しました。
そして、せっかくヒーローショーをやってきたのだから、やるならJAEだと考え養成所のオーディションを受験しました。

 

—–養成部に入る前と後での印象の違いや、思い出など教えてください。

縄田:まず入所前の僕のイメージは、ヒーローショーを経験してる猛者達が集まる場だと思っていましたが、そんなことはなく、色々なメンバーが揃いました。
アクション未経験がほとんどで、同期39人の中でもショー経験者は3、4人でした。
体操経験者や大学演劇出身だったり、単純に運動神経抜群のメンバーがいたり、全くの未経験者ももちろんいました。
得意不得意も、人それぞれでみんな刺激しあって切磋琢磨してました。
それでもやっぱり練習は厳しく、卒業公演の頃には人数が半分くらいになりましたね。

養成所の頃は、芝居に対して苦手意識がありました。
芝居の授業も真剣に取り組めてなかったように思います。
そして養成所も後期になり卒業公演の配役が決まったのですが、そこで一番台詞の多い役を頂き、それからやっと芝居に向き合う事が出来ました。
それも、同期に大学演劇出身者が多く、アドバイスを沢山貰えたおかげです。
授業以外にも卒業公演の自主練をみんな集まって本当に何度も何度も稽古してましたね。
あの時間は今でも大切な思い出ですし、同期は今でもかけがえのない仲間です。

 

—–いま養成部に通っている後輩の皆さんや、これから養成部を目指そうとしている人達に向けて、アドバイスなどいただけますか?

 

縄田:養成所の1年間は本当に濃密で、苦しくもあり楽しくもあり、今まで経験したことのない1年になると思います。
その経験を活かすも殺すも自分次第です。
授業を受けるだけで勝手にうまくなるわけではありません。
どうすればもっと良くなるかを自分で考え、授業で習ったことを色々な角度でしっかりと身につけて下さい。

そして、いずれプロになるのですから自分が輝けるよう、自己プロデュースしていく事も必要になってきます。
その為に、色々な事を経験し自分をもっと知って下さい。
自分の得意不得意を明確にし技量を受け止める事も大事ですし、そしてなにより自分を知って 誰にも負けない“自分の魅力”を見つけて下さい。
それは必ず、自分の武器になりますから!

 

—–初仕事の思い出をお聞かせください。

 

縄田:初仕事は映画の制作発表で、ポンチョのような黒ずくめを着て、アクロバットをしゲストに花束を渡すというお仕事でした。
その黒ずくめは映画にちなんだ格好なのですが、PRのためその格好で新宿や渋谷などの繁華街でゲリラパフォーマンスもしました。
パフォーマンスが終わるとその格好のまま、まさかの電車移動!
周りの視線が痛く地獄のような時間でした。(笑)
ですが、制作発表ではジャン・レノさんが来日していて、近くで拝見出来たのは興奮しました。

 

—–あえてお聞きしたいのですが、今でも強く思い出に残っていらっしゃるお仕事や、ご経験についてお聞かせ願えますか?

縄田:俳優デビュー1年目で「亡国のイージス(2005年公開)」へ出演した際に、真田広之さん、中井貴一さん、寺尾聰さん、安藤政信さんと僕という5人のシーンがありました。
監督から「寺尾聰さんへ、芝居中にコーヒーを渡してくれ。」と演出を受けたのですが、そのコーヒーカップがプラスチックのコップをホルダーにはめるタイプのカップだったんですよ。
新人の僕にとって、ド緊張の撮影です。
コップをホルダーに装着するのに、緊張で手が震えカタカタと音をたててしまい、静かなシーンが台無し。
最後まで手の震えが止まらず、何度もNGを出してしまいました。
そして結局、その演出が無くなってしまい・・・。立ってるだけに。
いまだかつて、その日以上に緊張した現場はないですね。

別作品のエピソードで、ある外国人俳優さんが来日した時のイベントのことです。
イベント登場シーンでその俳優さんの代わりにアクションをし、最後に10mの高所から落っこちるという仕事をしました。
会場のお客様は僕をその俳優さんだと思っているので、登場した瞬間から今まで経験したことのない黄色い声援を受け、落っこちる際は東京ドームが揺れるんじゃないかというくらいの悲鳴を浴びて、最高に気持ちよかった記憶があります。(笑)

そして「仮面ライダーゼロワン」を通しての経験です。
コロナ感染拡大の影響で撮影が止まったりもしましたが、ゼロワンを最初から最後まで無事に演じきれた事は大きな財産です。
最後のカットを終えた時は感極まりました。
初めての主役で、杉原監督もライダーで初のパイロット監督、そして渡辺淳さんもシリーズ初のアクション監督で、今まで経験したことのない事を求められて・・・。
最初は全くOKが出なかったですし、出来なくて何度もテイクを重ねました。
けど、最高にかっこいい画が撮れた時は、辛かったことが全て吹き飛びました。
そして後半は、現場で求められている事を理解し表現も出来てきたので、自分の思いを全力で注ぎ後悔のないよう努めることができました。
そんな濃密な1年は、今までの人生の中で一番充実した1年になりました。

 

—–俳優として充実感を感じる時と、逆に難しさを感じる時というのは、縄田さん的にはいかがでしょうか?

 

縄田:僕は演じている時が一番楽しいですね。
そして良い画が取れた時の、テンションの高い監督の“OK”の声に安心します。
そして演じた後に、共演者やスタッフに褒めて貰えると自信になりますね。
そしてなによりファンの方から反響があると最高に嬉しいです。

過去の経験ですが、難しさを感じた時は、例えば用意した演技プランが全く通じなかった時ですね。
役に臨む前に大抵は何通りか演技プランを用意しているのですが、時々全部通じなくてその場で考え、その場で作っていく時は焦りました。
今は臨機応変にその場で考えていくことに慣れましたし、その場で芝居が生まれていく楽しさを覚えましたので、難しさを感じるという感覚は無くなりました。

 

—–縄田さんの今後の抱負や、チャレンジしてみたい事、将来の目標などありましたら教えて下さい。

 

縄田:また主役を演じられるよう、今以上に心・技・体を鍛えたいと思います。
チャレンジというか、今まで演じた事のない自分と全く違う役を演じて、新たな自分をみつけたいですね。
そういう自分の可能性を広げてくれる役は、たくさん挑戦したいと思っています。
そして、ずっと俳優として続けていくことが目標ですね。
もっと言えば、ただ続けるだけじゃなく、常に表現が色褪せないよう最高の状態でファンの方に感動をお届け出来るよう努めたいと思います。

先輩達が生きるレジェンドばかりなので、負けないように頑張らないと!本当に!

 

—–インタビュー最後になりましたが、ファンの皆様に一言お願いします。

縄田:今年から「縄田ジャパン」が本格始動します!!(笑)
最初はふざけて作ったTシャツも商品化され、メンバーも集まりました。
コロナも沈静化して、1日も早く皆さんに「縄田ジャパン」としての活動を発表出来るような環境に戻ることを願っています。
是非、ファンの皆さんを招いてのイベントもやりたいと思っています!
2019年に高田ジャパンのイベントに参加したのですが、応援して下さるファンの方々の血が沸き立ちようなエネルギーを肌で感じ、その応援で僕らの仕事は成り立っているのだなと改めて実感しました。
いつも応援して下さる、全てのファンの皆様に感謝を込めて!縄田ジャパン始動します!
イベントやグッズ、僕らの出来る事で喜んで貰える事があるなら、何でもする意気込みです!
どうぞ、今後の活動にご期待ください!

 

—–ありがとうございました。


本インタビュー記事内の掲載写真は、全て著作権者の許諾をいただき掲載しております。
引用元:「きみはぼくを照らす光 仮面ライダーゼロワン aruto ja naito book」アザーカットより
© 遠山高広(MONSTERS)© libre