51期メンバー 菅野 充


【プロフィール】
名前:菅野 充(かんのみつる)
所属:アクション部(東京)
所属期数:51期
誕生日:11月23日
出身地:福島県
趣味・特技:スキューバダイビングCカード/陸上競技長距離/テコンドー/フィギュア・玩具収集/音楽鑑賞


【主な出演作】

◆TV◆
2021年:『機界戦隊ゼンカイジャー』アクションクルー

◆舞台◆
2021年:板橋文化会館『JAE養成部第51期研修生 卒業公演』出演


【インタビュー】

—–デビューしたばかり、51期の菅野さんのインタビューです。
幼少期から、俳優としてデビューするまでの、菅野さんの人生を振り返りたいと思います。
まずは、幼少期の菅野さんの様子をお聞かせください。

 

 

菅野:もう本当に、活発な子どもだったそうです。
他の子がやらないようなことばかりしていました。
目を離すとすぐに走り回ったり、虫を捕まえてみたり、側転をしたり壁で逆立ちしたり、いなくなったと思えば「やっほー」と木登りをして叫んでいたりと、親に面倒ばかりかけていましたね。(笑)

母によると、生まれる前から元気すぎて、母のお腹を中からずっと蹴っていたそうです。
クリスマスイブに生まれる予定が、1ヶ月も早くお腹から出てきてしまいました。
生まれた時の体重は2326gと軽く、病気や障害がないか心配されていたそうですが、健康そのものの元気すぎる赤ちゃんだったそうです。(笑)

 

—–それだけ活発という事は、やはりヒーロー番組も大好物だったという事でしょうか?

 

菅野:物心ついた頃には、すでに特撮番組を観ていて、特に仮面ライダーが大好きでした。
人生初の特撮作品は、確か実家にあったビデオの「忍者戦隊カクレンジャー」だったと思います。
かなり影響されて、保育園の発表会では「ニンジャレッド」になりきっていましたね。

 

 

ある日、保育園の帰りに友人のお宅へ行った際にその子のお兄さんが、「仮面ライダーアギト」の変身ベルトを腰に巻いていて、それを見た菅野少年は母にこう言ったそうです。

「お母さん!見て!あのベルト、光ってる!音も鳴ってるよ!!」と。

そのころは、児童向けの雑誌についていた付録の紙でできたお面やベルトしか見たことがなかったので、当時とても衝撃を受けたことを覚えています。
僕が保育園の年長から小学校1年生にかけて当時放送していた「仮面ライダーカブト」の時に、7歳の誕生日プレゼントで「DXカブトゼクター」を買ってもらい、とても大喜びして、どこへ行くのにもベルトを身に着けていた覚えがあります。

 

—–小学校時代はどうでしたか?

 

菅野:小学校に上がっても、絵に描いたようなやんちゃ坊主は変わりませんでした。
毎日のように、担任の先生に怒られていましたね。
どのくらい酷かったかというと、校長室に母が呼びだされたり、今までなかった心理カウンセラーの導入が翌年からされるようになるほど、いろいろな悪さをしていました。(笑)
ですが宿題はしっかり毎日やっていて、学校行事にも積極的に参加していましたよ。
運動会では毎年リレーの選手に選抜されたり、夏休みの課題で賞を取ったりと活躍はしていましたね。

当時、自分のやりたいと思ったことを親が全部やらせてくれて、サッカー、水泳、バドミントン、マラソンなど、習い事をたくさんしていました。
母子家庭で育ち、決して裕福ではなかったと思いますが、母はいつも僕の希望を叶えるよう優先してくれて、悪さをしたときもあまり怒鳴りつけるようなことはせず、しっかり注意し、自分で考えて行動するように言われてきました。
担任の先生や習い事の講師の方にはものすごく怒られましたが、そのおかげで善悪のちゃんとわかる人間に成長できたのだと思います。
いろんな人に感謝ですね!

 

—–そんな、やんちゃ菅野少年は、中学生になってどうなったのでしょうか?

 

菅野:一言で言えば、「チャレンジの中学時代」です。
まずは、部活動ですね。
小学生の時から町のロードレース大会や駅伝大会に参加しており、走ることが好きだったので、中学では陸上部に入部しました。
僕は長距離を専門にやっていました。
毎日朝練があり、放課後、土日とほぼ休みなく走っていましたね。
練習は毎日過酷でしたが、大会は楽しかったです。

部活の他には、学級委員長や生徒会、応援団に合唱隊など、たくさんのことにチャレンジし、毎日忙しい日々でした。
その当時も特撮番組は見ており、毎週の楽しみでした。
まわりにも特撮が好きな友人がいて、よく休み時間に教室で名乗りポーズや変身ポーズをやってましたね。
観てない人にどうやったら面白さが伝わるかを考えて、宣伝もしていました!(笑)

 

—–聞いているだけで、中学生活の密度の濃さが伝わって来ます。何かを求めて、走り続けている感じに見受けられますね。
高校生活は、いかがでしたか?

 

菅野:高校生になると、地元は電車が通っていなかったので最寄りの駅までバスで行き、そこから高校まで自転車で通学していました。
とにかく朝が早くて、始発のバスに何度も乗り遅れていました。
高校も陸上部に所属して、1500m、3000m障害をメインに出場していました。
もう本当に練習がハードで、中学の時と比べ物にならないくらいキツかったですね。
顧問の先生も怖くて…。
でも、社会に出てからも通用するような大事なことをたくさん教わりました。
※「凡事徹底」「分相応」、この2つはこれからの人生でも忘れることのない大事な言葉です。

※凡事徹底:なんでもないような当たり前のことを徹底的に行うこと。または、当たり前のことを極めて他人の追随を許さないことなどの意味。分相応:その人の身分や能力にふさわしいこと。また、そのさま、などの意味。

高校生の時も僕の特撮への愛は収まり切らず、文化祭でコスプレをする企画があったのですが、『仮面ライダーカブト』のコスチュームを自分で製作し、なりきってましたね。
クオリティはそれほど良くはなかったのですが、自分で作って憧れのライダーになれた!ということに満足感や達成感を感じました。
それもあってか、周りからは僕と言えば仮面ライダーという認識になり、話しかけてきてくれる友人がたくさん来てくれましたね。
この頃も変身ポーズを披露して騒いでましたね。

 

—–アクション俳優を目指すことになった、きっかけをお聞きしたいと思います。

 

菅野:これだけ特撮が好きだったので、自分も将来特撮に関われる仕事がしたいとと思うようになりました。
脚本を作る人、企画を立てる人、映像を撮る人、おもちゃを開発する人、いろいろな特撮に関わりそうな仕事を思い浮かべましたが、自分の中で自分が演じたいという思いが強くありました。
そのため、中学生のときにネットや本で調べてスーツアクターという世界があることを知ったと同時に、岡元次郎さんや高岩成二さん、永徳さんなど特撮に関わっている俳優さんがJAEに所属して活躍していることも知りました。

そこで自分もやってみたいと目指す土台ができました。
しかし、大学進学も考えており、小学生のときに東日本大地震が発生し、地元福島県が大きな被害を受けたことがきっかけで、自分も町の復興に役立ちたいと思い、建築の道へ進み、大学へ進学しました。

 

—–大学進学時に、一度はスーツアクターの道をあきらめたという事ですか?

 

菅野:いろいろと迷いはありましたが、大学を卒業したらJAEに入ろうと決めていました。
ですので、大学在学中もJAEでスーツアクターを目指す事を想定して、いろいろなことに挑戦しました。
走ることが好きだったので、駅伝部に入部しました。
何か新しいことを始めたいと思い、ダンスサークルに入りました。

 

 

JAEに入るんだったらアクションやアクロバットができないとダメだと思い、アクション教室に通っていました。
そこで出会った方にテコンドーを勧められて習い始め、黒帯(一段)まで習得できるほど、熱心に指導してくださいました。
また、インカレで早稲田大学の「怪獣同盟」という特撮のサークルに所属し、自分たちでコスチュームや脚本を制作して、自分たちでドラマを撮ったり、幼稚園や文化祭でヒーローショーを行っていました。
そういったいろいろな経験を通じて、人に感動を与えられることってこんなに楽しくて凄いことなんだと感じ、早くJAEに入りたいという思いが強くなっていきました。
そのため大学2年時に休学をし、自分を見つめ直し、親や友人に相談をして、JAE養成部のオーディションを受けることにしました。

 

 

—–オーディションに向けた準備や、試験当日の様子はいかがでしたか?

 

菅野:オーディションの前に準備したことは、先にファクトリーの近くに引っ越しをしたくらいですかね。
落ちたらどうするんだって話なんですけど…。(笑)
あと、オーディション用紙は慎重に丁寧に書きました。

オーディション当日は、とても緊張していました。
周りを見ている余裕はなく、渡された用紙を見て、何度も黙読していました。
早口言葉があったのですが、うまく言えずかんでしまったのを覚えています。
質疑応答の時は、とにかく大きくハキハキと答えることを心がけました。
オーディションを終え、自分の中では精一杯やれたと手応えを感じていたので、自分が落ちたら誰も受からないんじゃないかぐらいの自信はありました。(笑)
無事合格し、親や友人に電話をかけて報告しました。嬉しかったですね!

 

—–大学を休学してまで入所したJAE養成所。1年間の養成所生活の感想をお聞かせください。

 

菅野:養成所での1年間は、とにかく楽しかったですね。
毎日稽古は大変でしたが、同期とはとても仲が良く、一致団結して乗り越えてきました。
入所当初、同期の尾野透雅と川合立統に衝撃を受けました。
尾野は中国武術を、川合は体操をやっていて、その上動きもキレッキレだったので、男ながらに惚れてしまうと同時に、めちゃくちゃ焦りました。
養成部を卒業してメンバーになったら、この人達やそれより上の人たちと一緒に仕事をし、競争していくんだと思い、必死に2人についていきましたね。
卒業までに絶対2人と同じくらいのレベルまで上手くなってやると決めて、毎日練習していました。

火曜日は現代殺陣と時代殺陣の稽古があり毎週楽しみでした。
両方とも立ち回りの稽古があり、アクションができたので、しっかり勉強しつつも楽しんでいました。
スタントの稽古は何もかもが初めてで、最初は苦労しましたが、だんだんとできる技が増えていきどんどん飛び降りてましたね。
マットの稽古はコーチに指導していただくのですが、怖かったです。
バク転や宙返りはできていたので少し自信があったのですが、いざ稽古に参加してみると、言われたことが全然できませんでした。
簡単な技も綺麗に美しくやらなくてはできたことにならず、できるようになるまでかなり大変でした。
加えて、できないと厳しく怒られるので、マットの稽古はほかのどの稽古よりも集中して取り組んでいました。
稽古自体はキツいことの方が多かったですが、同期同士で話したり遊んだり教え合ったりと、同期と過ごした時間が本当に楽しかったです。
養成所では礼儀や言葉遣いなど、人として大切なことをたくさん学びました。
これから仕事をやっていく上でも本当に大事なので、指導してくださったコーチには心から感謝しています。

 

—–アクション俳優、スーツアクターを目指す上で、教訓や参考になった事はありましたか?

 

菅野:僕はJAEを目指そうと考え始めた時から、「自分はスーツアクターを目指すには、身長が低いのではないか?」と気にしていました。
ですがその後に、スーツアクターを目指そうと決心できたのは、藤田慧さんの影響でした。
自分と同じぐらいの身長で、しかも仮面ライダーのレギュラーキャラクターを演じられていて、自分と同じ位の身長の人でも活躍している人もいる!
それを知ったことで、「自分ももしかしたら活躍できるかもしれない。」「むしろ自分にしかできないことがあるのかもしれない!」と、前向きに考えられるようになりました。
それからは何をするにも、自分らしさを忘れないようにしています。

 

—–これからの抱負や、目標などありましたらお聞かせください。

 

菅野:今1番の目標は、仮面ライダーのスーツアクターになることです。
その目標に向かって、今はとにかくいろいろなことにチャレンジしてみたいと思っています。
ドラマの現場、舞台、ダンス、ショーなど、たくさんのことを経験して、それを最終的にスーツアクターとしての演技で活かしていきたいと考えています。
初めて現場で仕事をしていた時に、ふと泣いてしまいました。
昔から大好きでずっとみてきた特撮の現場に参加させていただき、たくさんの人に愛される作品の制作の一部に自分が関われたのだと思うと、込み上がってくるものがありました。
そのときの気持ちを大切にして、これからの仕事に励んでいきたいと思います。

応援宜しくお願い致します!


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