51期メンバー 田畑渚


【プロフィール】
名前:田畑渚(たばたなぎさ)
所属:JAEプロモーション
所属期数:51期
誕生日:5月13日
出身地:愛知県
趣味・特技:ダンス/絵画/色彩検定3級/スキューバーダイビングCカード/歌/どこでも寝れる/食べる事


【主な出演作】
◆TV◆
2021年:EX『機界戦隊ゼンカイジャー』アクションクルー

◆舞台◆
2021年:板橋文化会館『JAE養成部第51期研修生 卒業公演』出演


【インタビュー】

—–子供の頃の田畑さんは、どんな感じのお子さんでしたか?

田畑:自分は小さい頃からもの凄く好奇心旺盛で、色んなことをやらかす子供でした。
そして人見知りでした。

絵を描くことが大好きで、小学校の頃に「たまごっち」が流行った時期、自作の四コマ漫画とかを描いて放課後に机に並べて、本屋さんごっこみたいな事をしてた記憶があります。
動いて遊ぶことも大好きでした。
木登りをするのが大好きで、家の近くの公園や学校の校庭にあった木は全部登ってましたね。
登ってはそこになってる木の実とか採って食べたりして、野生児的な部分もありました(笑)

私が通っていた小学校は、生徒みんなで毎朝走る習慣がある学校で、自然と私は走る事が好きになりました。
駅伝大会では、速い子達のチームに入れさせて貰えて、必死に走ったのを覚えてます。
マラソン大会の練習で山を走った時は、すんごいしんどかったですねー。

習い事も色々やっていて、印象に残っている習い事はシンクロナイズドスイミングですね!
毎年市民プールの外開きで発表をしていたのを覚えています。

—–中学時代は、どのように過ごされましたか?

 

田畑:小学生までは健康的で活発な子供時代を送っていたのですが、小学6年生の後半あたりから中学にかけて、体調を崩しがちになってしまって、学校を休む日も多く、生活がガラっと変わってしまいました。
体調不良で中学に行けないので、その罪悪感から人の眼を気にするようになってしまいました。
他人の足音に脅えたり、気配を感じるだけで恐怖感を持つようになってしまいました。

この頃の自分は、本当にお母さんに迷惑を掛けてしまったなって思っています。

中学校には相談室という、さまざまな事情を抱えた生徒がいつでも通える教室があって、私も登校した時はそこに通いました。
私は相談室で、ずっと大好きな絵を描き続けていました。
するといつの間にか校内で、「相談室に通っている子で、すごく絵が上手な子がいる。」と、私の事が噂になっていました。
その噂が元となり、中学3年生最後の体育大会では、私に応援旗の制作が任される事になりました。
ちょっと変わった中学生活となってしまいましたが、応援旗を作るという形で参加できたのはとても嬉しかったですね。

 

—–高校生活について、お聞かせください。

 

田畑:中学の校長先生に、「絵」で推薦を頂いて、デザインを学べる高校へ進学しました。
高校では学力や人間関係など、中学時代の遅れを取り戻そうと必死でした。
成績では、クラス上位を保てるように精一杯勉強しました。
自らクラスの副委員長に立候補して、自らクラスメートに話し掛けました。
バイトも友達と一緒にやったり、高校周辺を歩き回って開拓したり・・・。
普通の人にとっては何気ない事かもしれませんが、私にとっては全てが自分の中で挑戦している様に思える高校時代でした。

 

—–将来、俳優を目指そうと決心されたきっかけは、何だったのでしょうか?

 

田畑:高校3年生の行事で、劇団四季を初めて観に行く機会がありました。
そこで観たのが、「美女と野獣」でした。
舞台の幕が上がった瞬間に、「こんなにキラキラした舞台という世界があるんだ!」って衝撃を受けて、舞台の世界に凄く憧れたんです!
この体験が始まりでした。

 

—–舞台にあこがれて、進学先も決められたのですか?

 

田畑:当時、進学を希望していた芸術大学に音楽学部がある事を知って、その中にミュージカルが学べる学科があり、飛び付きました。
初めは先生から指導される事が全然出来なくて、皆に着いていくだけで精一杯でしたね。
周りはダンスの強豪校から来た子とか、宝塚歌劇団のオーディションを受けたことのある子もいて、先輩方も上手い方ばかりで圧倒されました。
大学で様々な経験を積んでいく事で、私の舞台に対する興味や関心もより具体的になり、身体を使って表現する事が楽しくなりました。

 

—–なぜアクションの道を選ばれたのでしょうか?

 

田畑:大学3年生の時に、イベント会社のアルバイトをしていました。
ある日、急遽出れなくなった出演者の穴埋めで、私が戦隊ショーに出演することになりました

はじめはアルバイト感覚でしたが、実際にショーに出演してみて高校の時に初めて観た「美女と野獣」同様に、「凄い!カッコイイ!こんなスーツアクターの世界があるんだ!」って思っちゃいました!(笑)
そこからアクションにも興味が湧いて、本気でアクションの世界を目指すようになりました。

あとは、当時ハマった地元アイドルの小林豊さんが出演されていた「仮面ライダー鎧武」を観たのがきっかけで、仮面ライダーという作品自体に興味を持ち、色々なライダー作品を見たのもJAEに入るきっかけになったと思います。

 

—–未経験のアクションへの挑戦となりましたが、不安はありませんでしたか?

 

田畑:大学3年生の時に体験したヒーローショーでアクションに興味を持ってから、進路をいろいろと調べる過程でJAEの養成所を知った時は、本当にギリギリまで悩みました。
ちょうど新型コロナウイルスが東京で流行り始めた時期でもあったので、色々と不安も重なりました。
ですが、「どうしてもアクションを一から学んでみたい!」という思いが日に日に強くなり、思い切ってJAEに履歴書を送りました。

進路を決めた時には、お母さんは応援してくれましたし、叔母さんにも応援して貰えました!
それだけで、凄く嬉しかったです。

 

—–養成部のオーディション受験の前に、準備した事、心掛けた事はありますか?

 

田畑:オーディションに向けて準備したことは、履歴書で盛った数字を目指して痩せた事です!(笑)
オーディション自体受けることが初めてだったので、ものすごく不安でしたし、すごく緊張もしました。
オーディション当日、会場に入る前の入り口で検温があったんですけど、実際に微熱が出てしまうくらい緊張してしまい、オーディション受ける以前に、「会場に入る事もできずに帰らないといけないのかぁー!」と、絶望的な気持ちになりました。
しばらく経ってもう一度検温したら平熱に下がっていたので、無事に入ることが出来ましたが・・・。(汗)

 

—-オーデション当日のご自身の様子を、いま改めて振り返ってみて、どんな様子でしたか?

 

田畑:受験会場では、ストレッチしてる凄く体が柔らかい子とか、ヌンチャクとかを持って練習してる子とか、マスクしてても綺麗だなって思う子とかが沢山いました。
一方で、自分には何も無かったので、絶対にオーディション受からないだろうなぁ・・・と、弱気になっていました。

でもオーディションを受けるからには、自分に出来るだけの事をしようと、自ら気持ちを奮い立たせました!
正直なところ、オーディション当日の様子は緊張しててよく覚えていない事も多いのですが、「絶対に負けたくない!」って気持ちはありました。
あと、初めて会場で喋ったのがレイチェルだった事は覚えてます。(笑)

合格通知を待ってる間は、ずっとそわそわしてました。
大学の卒業式がある頃に合否通知が来ることを聞いていたので、完全にうわの空で、卒業式どころじゃなかったですね!
心の中では、「受かってるかな?落ちたかな?」って、ぐるぐる不安を巡らせていました。
通知を待っていた期間は、家に帰ったらすぐお母さんに、「今日何か届いてた?」って聞いていました!

 

—-念願のアクションを学んだ感想を教えてください。

 

田畑:初めてやったスタントの授業は、本当に訳が分からなかったです!
飛び降り方にもたくさん種類がある事を初めて知りましたし、空中で色々な意識をして飛ばないと生命に関わる事なので、一番緊張した授業でした。
自分の身体をいかに空中で自分の意思で動かすとか、今までの人生の中でやった事無いので本当に難しかったですね。
今でも絶賛練習中です!

時代殺陣の授業で初めて素振りをやった時は、死ぬかと思いました!
もう号令に合わせて刀を振るのに必死でした・・・。

授業が始まった初めの頃は、同期と帰りに公園で素振りをしたり、蹴りや殴りをしたり、ダンスを練習したり、色々した記憶があります。
新型コロナウイルスの感染拡大が世の中で社会問題化して以降、私たちの練習にも影響がでました。
授業終わりの同期との自主練を控えるように指導があり、
出来なくなったのは少し悲しかったですね。

 

—-養成期間中、心に残ったエピソードなどありましたら教えてください。

 

田畑:養成所に入って2ヶ月の時、マットの授業で左腕をケガしてしまい、全治3ヶ月って言われてしまったんです。
この時に思ったのは、焦りと不安と罪悪感でした。

せっかく家族に応援してもらって来た貴重な1年間の養成所生活を、台無しにしてしまったと思いました。
早く治そうと思って初めて手術もしましたが、早くは治らなかったです。
それでも本当に諦めたくなくて、右手だけでも木刀を振ったり、手を使わないで出来る技の練習をしました。

けれども早く治さなきゃっていう気持ちと、無理にやったら別の所を怪我するんじゃないかっていう不安に押し潰されそうになりながら、ここまで辞めずにやってこられたのは、同期の仲間達の支えがあったからだと思います。

そして、そんな不安の中で一番覚えているのは、コーチの「お前は大丈夫だ!」っていう言葉でした。
たった一言だけで、「自分はこんな状態でも、ここに居ていいんだ。」って思えましたし、安心しました。
他の先生方にも、片手だけで参加出来るような形を取らせて頂いたりして、本当に本当に感謝で胸が張り裂けそうな気持ちでした。
本当にたくさんの方々のおかげで、養成所の期間を乗り越えられました。
他にも様々な出来事が私の中でありましたが、本当に技術面でも精神面でも成長したように思う養成所期間でしたね。

 

—-今後の抱負を思いっきり語ってください。

 

田畑:色々な人たちに、夢を与えられるようなお仕事をしたいなと思っています!
自分が今まで色々な人達のキラキラした姿を観て夢を持ったように、感動させられるような姿を観せられたらいいなと思います。
私は、何歳になっても新しいことを始めることに対して遅いとは思いません。
人はいつまでも成長して、変わっていけることを信じています。
なので、自分自身もまだまだ成長していきたいです。

そして、色々な事に挑戦していきたいです!
この好奇心を、色々な事に活かしていきたいと思っています。

皆さん!応援のほど宜しくお願いします!
ありがとうございました。


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