本多剛幸 ミュージカルを中心に取り組みたい


【プロフィール】
名前 本多剛幸(ほんだたけゆき)
所属 アクション部(東京)
所属期数 31期
誕生日 10月16日
出身地 長崎県
趣味・特技 バレーボール、陸上


【主な出演作】
◆舞台◆
2020年:帝国劇場『Endless SHOCK 20th Anniversary』(作・構成・演出 ジャニー喜多川)アンサンブル
2017~2019年:帝国劇場/梅田芸術劇場/博多座『Endless SHOCK』(作・構成・演出 ジャニー喜多川)アンサンブル
2019年:梅田芸術劇場『Endless SHOCK 2019』(作・構成・演出 ジャニー喜多川)アンサンブル
2019年:小倉城勝山公演特設劇場『小倉城天守閣再建60周年 平成中村座 小倉城公演』アンサンブル
2019年:横浜アリーナ『氷艶hyoen2019-月光かりの如く-』(演出 宮本亜門)アンサンブル
2019年:南座『南座新開場記念 新作歌舞伎 NARUTO-ナルト-』(脚本・演出 G2)アンサンブル
2018年:日生劇場他『シラノ・ド・ベルジュラック』(演出 鈴木裕美)アンサンブル
2018年:新橋演舞場『新作歌舞伎「NARUTO-ナルト-」』(脚本・演出 G2)アンサンブル
2018年:さくらホール『デルフィニア戦記~動乱の序章~』(演出・脚本 児玉明子)マグダネルの息子役

◆映画◆
2018年:東映『パンク侍、斬られて候』(監督 石井岳龍)腹ふり衆役/アクションクルー
2017年:東宝『関ヶ原』(監督 原田眞人)アクションクルー

◆TV◆
2020年:CX『絶対零度~未然犯罪潜入捜査~ 第二話』SAT隊隊長
2018年:TX『新春ドラマ特別企画「三匹のおっさん スペシャル」』粕谷役
2018年:NHK-BSプレミアム『スペシャルドラマ「荒神」』永津野藩士役
2017年:NTV『ぼくらの勇気 未満都市2017』特殊部隊役

◆コンサート◆
2020年:国立代々木競技場 第一体育館『超特急 BULLET TRAIN ARENA TOUR2019-2020 「Revolución viva」』スタント/アクションクルー

◆WEB◆
2018年:『Specサーガ完結編 SICK’S恕乃妙~内閣情報調査室特務事項専従係事件簿~』自衛隊役/アクションクルー


【インタビュー】
——現在は、舞台を中心にご活躍中の本多さんのインタビューです。長崎県出身の本多さんですが、幼少期はどんな感じのお子さんでしたか?

本多:地元が温泉街で家の周りには自然が豊富で、海や山があって、よく魚釣りや山に行って遊んでいました。
特に釣りは、父親に連れられてよく行っていました。友達と、コマ遊びもしました。
雲仙に住んでいた祖母の家に遊びに行った時は、山に木を伐りにいって薪(まき)にして、五右衛門風呂に使っていました。
五右衛門風呂は大きな鉄製の釜のような浴槽になっているのですが、そのまま入浴すると足を火傷してしまうので、木の板を敷かなければなりません。
当時は子供でしたから、私の体重が軽すぎて板が上手く沈まず、火傷しそうでビクビクしながら入浴していた思い出があります。
あとは、よく石けりしながら、小学校に通っていました。(笑)

 

——小学生の時は、スポーツや習い事などはしていたのですか?

 

本多:当時の私は身体が弱かったので、体力づくりと健康のために、親から勧められて水泳をはじめました。
すると心肺機能が強くなって体力も付いたらしく、病気で学校を休む事も無くなりました。
小4からは、友達の影響もあってバレーボールをはじめました。
地元の大会では、優勝した事もありました。
バレーボールでは友達も沢山できたので、そのままのチームのメンツで中学でもバレー部に入りました。

 

——中学でのバレーボールの成績はいかがでしたか?

 

本多:地元では、強豪校だったと思います。大会で優勝する事もありましたし。
全国大会への出場を狙っていましたが、夢は果たせませんでした。
県大会1,2位通過で九州大会への出場権利を獲得できたのですが、準決勝で優勝候補校と当たり、負けてしまいました。
この試合が、事実上の優勝決定戦でしたね。
毎週のように九州エリアを遠征して、交流試合をやっていました。
顧問の先生はバレーボールの専門家ではなかったので、日々の練習メニューとか遠征先などは、すべて私達レギュラーメンバーで自主的に計画してやっていました。
遠征中の道すがら、メンバー同士で相手校の戦力分析をしたりして、楽しかったですね。
中学時代は部活に熱中していました。

 

——高校時代は、いかがでしたか?

 

本多:中学時代のバレー部仲間とは別々の高校になってしまいましたが、高校でも、バレー部に入部しました。
3年生の最初くらいでバレーをやめて、陸上部に入りました。
100M、400M、リレーの選手として、何度か大会に出場しました。
そろそろ将来の進路を本気で考えなければいけない時期になり、大学進学を目指すのか、俳優の道を目指すのか悩んでいいましたが、最終的には俳優の道を目指すことに決めました。
それから、芸能の専門学校を見つけて親に相談し、高校卒業後2年間、専門学校に通いました。

 

——何がきっかけで、俳優を目指そうと思ったのですか?

 

本多:TVに出たいと思い始めたのは、小学、中学の頃からです。
当時は、漠然と「テレビに出たい。」と、思っていた程度でしたが。
その後、ある俳優さんの出演するTV番組をみて、本気で俳優になりたいと考え始めました。
(JAEメンバーとして俳優になってから、その人と共演できています。)
大学に行くか?芸能専門学校にいくか?と考えましたが、私自身「毎日同じ時間に起きて会社にいく生活」が無理と思い、大学への推薦入学を断って芸能系の専門学校に通う事に決めました。

偶然ですが、私が入学した専門学校には、JAEの方が講師として殺陣を教えにきていました。
卒業後の進路で複数の芸能事務所を検討していましたが、JAE養成部のオーディションを受験しました。

 

——養成部オーディションでの思い出はありますか?

 

本多:オーディションの時に木刀を持ったコーチを見て、本気で帰ろうと思った事です。
とんでもない所に来ちゃったと思いました。(笑)
オーディションの内容ですが、コーチや会社幹部の人たちは、私達受験者の演技や身体能力などの技術的な部分よりも、受けに来た姿勢や本気度を見ていたんだなと思います。
なぜなら、受験者の中には足を組んで座っていただけで、実技試験も受ける事が許されずに不合格になっていた人がいましたし。
私達受験生は、「教えを乞う」ために来ているわけですから、将来の師匠となる人達の前で「足を組んで座る」なんていう態度は、そもそも許されないわけです。

 

—–養成部での生活はいかがでしたか?

本多:養成部での1年間は地獄でした。精神的にも肉体的にもキツくて。
同期のメンバーには、空手や柔道、体操やラグビー経験者などの方がいらっしゃいました。
それから、年をごまかして入所している人もいましたね。(笑)
私は、スタントのクラスが一番できていないと、コーチから指摘を受けました。難しかったです。
子供の頃、あんなに海や山で飛び回るように遊んでいたハズなのに、スタントの落っこち練習で、上手に背中から落ちる事が出来ない。
飛ぶ角度、蹴る力、振り上げる力が繊細で、身体を思い通りにコントロールできなくて苦労しました。
それが今は、仕事で年間100~200回は落っこちをやっているわけですから、成長したと思います。
養成部当時は、なんであんなにビビっていたんだろうと疑問に思うほどです。
時代殺陣は、同期に負けない、負けたくないと思ってやっていました。

 

——初仕事の思い出はありますか?

 

本多:初仕事は、百獣戦隊ガオレンジャーと仮面ライダーアギトの撮影現場での補助でした。
初仕事は最悪でした。何も分からないし、動けないし、失敗も多くて。
私の不注意で、ヒーローの面をコンクリートの地面に落として、めちゃくちゃ怒られた記憶があります。
幸い、破損が無くて事なきを得ましたが。
もともと舞台志向が強くてこの世界に入ったので、いつも心の片隅に「やりたい事は、こっちじゃない」という思いもあり、初仕事の現場は散々でした。

 

——現在のお仕事の様子について。

 

本多:最近は、舞台のお仕事をメインにしています。
時代殺陣や歌、ダンスを舞台で披露する事が多くなっています。
徐々にですが、台詞も増えてきています。

 

——今後の抱負をお聞かせください。

 

本多:中堅と呼ばれるような年齢になりましたが、同期の塚田知紀が相変わらずアクロバットをやっているので、自分も頑張りたいと刺激を受けています。
これからはミュージカルを中心として、舞台の仕事に取り組んでいきたいと考えています。
またミュージカルに限らず、今はどの舞台でも、歌とダンスのスキルが定番的に要求されますので、今まで以上に歌とダンスのスキルを高めるのが課題だと思っています。