市川雅章 ヒーローになる夢を実現したい!


【プロフィール】
名前 市川雅章(いちかわまさあき)
所属 アクション部(東京)
所属期数 47期
誕生日 11月27日
出身地 静岡県
趣味・特技 少林寺拳法


【主な出演作】

◆TV◆
2020~2021年:EX『魔進戦隊キラメイジャー』アクションクルー
2019~2020年:EX『仮面ライダーゼロワン』アクションクルー
2018~2019年:EX『快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー』アクションクルー
2018年:CX『絶対零度~未然犯罪潜入捜査~』アクションクルー
2017年:NTV『誰も知らない明石家さんま』再現VTR吹替え
2017~2018年:EX『宇宙戦隊キュウレンジャー』アクションクルー
2017~2018年:EX『仮面ライダービルド』アクションクルー
2016~2017年:EX『仮面ライダーエグゼイド』アクションクルー

◆イベント◆
2020~2021年:シアターGロッソ『魔進戦隊キラメイジャーショー』アクションクルー
2019~2020年:シアターGロッソ『騎士竜戦隊リュウソウジャーショー』アクションクルー
2018~2019年:シアターGロッソ『快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャーショー』アクションクルー
2017~2018年:シアターGロッソ『宇宙戦隊キュウレンジャーショー』アクションクルー

◆映画◆
2020年:東映 『仮面ライダー電王 プリティ電王とうじょう!』(監督 中澤祥次郎)アクションクルー
2018年:東映『パンク侍、斬られて候』(監督 石井岳龍)藩士 役/アクションクルー

◆WEB◆
2018年:Paravi 『Specサーガ完結編 SICK’S恕乃妙~内閣情報調査室特務事項専従係事件簿~』自衛隊 役/アクションクルー


【インタビュー】

—–特撮作品への出演でご活躍中の、市川雅章さんです。まずは、自己紹介をかねて市川さんの子供時代についてお聞かせください。

市川:子供の頃から、特撮ヒーロー番組はよく観ていました。
ヒーローが好きで、毎日のようにごっこ遊びをしていました。
友達だけでは飽き足らず、妹にもごっこ遊びに付き合ってもらっていました。(笑)
当時、ビデオでギンガマンを繰り返し観ていた記憶が、すごく思い出に残っています。
TVでリアルタイムで観ていたのは、ギンガマンの他、タイムレンジャーや仮面ライダークウガですね。
いつか自分もヒーローになるんだ!と、憧れていました。

 

—–子供時代は活発だった印象を受けますが、小学生や中学生の時は何かスポーツなどやられましたか?

 

市川:実は小学生の時は、全くスポーツをやっていませんでした。
普通に授業を受けて、友達と遊んで帰宅していました。
中学でも美術部に入って静物画や油絵を描いたり、陶芸をしていました。
どちらかというと内気な性格で、目立たない・・・、図書室で一人静かに読書をしているような中学生でしたね。
活発というよりも、インドア系でした。

 

—–ヒーローへの憧れは、相変わらず抱いていたのですか?

市川:小学生になって物心がついてくると、いろいろと現実を知って、自分が本当の意味でのヒーローになることはできないと自覚しました。
当時はまだ、「仕事」としてヒーローがある事も知りませんでしたので。
でも、引き続きヒーローに憧れはあったので、TVや映画は観ていました。
中学時代は、日本中でジャッキーチェンさんの人気がありましたので、僕もアクション映画は良く見ていました。
当時はTVで、金曜ロードショーやゴールデン洋画劇場など映画専門の番組がありましたので、中学生でも気軽に映画を観やすい環境がありましたので。
この頃に、世の中にスタントマンやアクション俳優という職業があると知りました。
アクション事務所についても自分で調べて、JAEという会社がある事も知りました。

 

—–高校時代は、どのように過ごされていましたか?

 

市川:将来はモノづくりに携わる仕事をしたいと考えて、工業高校の電子工学科に進学しました。
授業の思い出といえば、毎日、電子回路を作って半田着けですね。
入学早々に少林寺拳法部の勧誘を受けました。
高校に入るまで、本格的なスポーツや武道の経験がゼロでしたから、「そもそも少林寺拳法ってなんだ?」と調べました。
それから、以前JAEを調べた時に少林寺拳法のカリキュラムがあると知っていましたので、縁も感じて入部を決心しました。
入部した直後は、自身初の運動部でしたし、未知の世界、本当に3年間続けられるか?すごく不安でした。

 

—–実際やってみて、いかがでしたか?

 

市川:映画のようなアクションを部活で体験出来て、すごく楽しかったです。
少林寺拳法は護身術としても実用性がありますが、監督の講話をお聞きして精神的にも勉強になりましたし、言葉使い、礼儀作法、道徳心なども教えていただけたと思います。
振り返ると、高校時代は部活漬け(少林寺拳法漬け)の生活でした。
私が通っていた高校は、学生の帰宅後に武道場が一般の方に開放されて、少林寺拳法教室をやっていました。
私も部活終わりで居残って、引き続き一般の方と夜遅くまで少林寺拳法の稽古をしていました。
少林寺拳法をはじめてしばらく経った時、すごい勢いで石畳で転んだ事があったのですが、しっかり受け身を取る事ができて、ほとんど痛みも感じずケガもしなかった事がありました。役立っていると感じましたね。(笑)

 

—–高校卒業後の進路について教えてください。

 

市川:工業大学に進学し、電子工学科系を専行しました。プログラミングやロボットなどを扱う学科です。
大学では少林寺拳法ではなく、体操をはじめました。
体操を始めた理由は、「将来アクション俳優の道に進んだ時に役立つのでは?」と考えたからです。
今思い返すと、体操は大学生から始めるものではないな、と思いますね。(笑)
それこそ周りの部員は、幼稚園や小学生の頃から体操教室に通っていたような経験者ばかりで、技術、レベルの差を痛感しました。
ですが、大学から体操を始めるという僕と同じ境遇の子が入部してきまして、その子と切磋琢磨する事で練習意欲や、もっと頑張ろうという気持ちが湧いてきました。
おかげで上手い人だらけの体操部でも、やっていけてとても大切な仲間になりました。
もちろん経験者の同期も先輩達も優しい人で大切な仲間ですけどね(笑)

 

—–アクション俳優を目指そうと決心したきっかけ、時期はいつだったのですか?

市川:大学生の時に決心しました。
実家が静岡で、埼玉県の大学に進学して、人生初の一人暮らしを始めました。
頼れる家族、友人はだれも居ません。
不慣れな土地で、自分は生活していけるのか?
アルバイトも初めての経験。上手く仕事ができるのか?
周りは未経験で不安な事ばかりでした。
そんな中で大学に通いはじめ、不安に思っていた事がひとつひとつ解消されていきました。
大学では、特撮研究会のサークルに入ったのですが、過去作品を多く見て、懐かしさでテンションが上がりました!
そして思い出したのです!過去にアクションやヒーローに憧れていた時の熱い思いを!
その後は自分の気持ちの中で・・・、
「意外と一人で出来るものだな。これなら20歳からでもアクション俳優目指すのも夢じゃない!少林寺拳法や体操の基礎も習得しているし。」と決心しました。
それからは、親にも十分相談もせずに、大学を中退しJAEの養成部を目指しました。

 

—–養成部時代や初仕事の思い出など、お話いただけますか?

 

市川:今までの人生の中でも、養成部時代ほど精神的にも肉体的にも、辛く濃い時間を過ごした事はありませんでした。
周りも同じ夢に向かって頑張ろうとしてる仲間ですから、絆も深まりました。
辛い事が多かったのですが、自分にやる気さえあれば、乗り越えられると思います。
逆に中途半端な気持ちだと、途中で脱落していく事になります。
私は少林寺拳法や体操の経験があったので、その点は養成部時代にも役立ちました。

初仕事は、スーパー戦隊や仮面ライダーの撮影現場でした。
主な仕事の内容は、先輩俳優の方々のスーツや面・衣装の着付けや、アクションシーンでの補助(マットを出したり、ワイヤーを引いたり)です。
養成部を卒業したばかりで分からない事が多いですから、まずは撮影現場で先輩のお手伝いやスタッフの皆様の動きなどを見ながら、勉強する毎日が続きました。

 

—–これからの目標や抱負について語ってください。

 

市川:子供の頃に憧れたヒーローになる夢に、1歩1歩近づいています。
今はヒーローの番組や舞台にかかわるところまで進む事が出来ました。
このまま現場での経験や稽古を積んで、ヒーローになる夢を実現したいと思います!