51期メンバー 鈴木翔流


【プロフィール】
名前:鈴木翔流(すずきかける)
所属:アクション部(東京)
所属期数:51期
誕生日:10月8日
出身地:静岡県
趣味・特技:全日本剣道連盟初段/スキューバーダイビングCカード/第70回全国高等学校陸上競技対校選手権大会出場/第二級陸上特別無線技士/音楽鑑賞


【主な出演作】

◆TV◆
2021年:『機界戦隊ゼンカイジャー』アクションクルー
2021年:『仮面ライダーセイバー』アクションクルー

◆舞台◆
2021年:板橋文化会館『JAE養成部第51期研修生 卒業公演』出演


【インタビュー】

—–鈴木さんは、高校卒業後に警察官を経験され、退官後に俳優を目指された珍しい経歴をお持ちです。
なぜ、退官してまで俳優を目指されたのですか?

 

鈴木:僕は小さい頃から体を動かす事が大好きで、自分の体一つで表現しそれを仕事にできる職業にとても憧れがありました。
その中でも特に、人に夢を見せることができ、自分も夢を見させてもらった「俳優」というお仕事を1番の目標にしていました。
2番目の目標にしていたのが、「警察官」でした。
当時、俳優を目指すためには、周囲の理解や経済的な問題など解決できない事があったので、警察官を選びました。
一度選んだ以上は警察官として真摯に職務に取り組んでいましたが、心の中には常に「このままで良いのか?俳優を目指さなくて良いのか?」という思いが渦巻いていました。

自分の人生ですし、悔いは残したくないという思いと経済的な問題も解決できる目途が立ちましたので、警察官を辞めて俳優を目指す覚悟を決めました。
警察官当時の先輩に相談したところ、「勿体ない。」と言われましたが、自分の考えを伝えたところ渋々ですが納得して頂きました
「俳優になる!」と宣言した時、友人や家族は驚いていましたが、僕の目指す道なら応援すると背中を押してくれました。
とても感謝しています。

 

—–子供時代から、俳優になることが1番の目標だったのですね。
ではなぜ、俳優が1番の目標になったのか?その経緯をお聞きしたいと思います。
まずは、子供時代の鈴木少年の様子について教えてください。

鈴木:僕は、静岡県富士市で育ちました。4人兄弟の次男です。
地元は、起伏が多くある土地だったので、屋外で遊ぶだけでも足腰が鍛えられていたと思います。
保育園では主に外遊びに夢中でした。
家に帰ってからは2つ上の兄と、仮面ライダーや戦隊のごっこ遊びをするなど、とにかく明るく元気で活発な子供だったそうです。
好き嫌いもなくよく食べ、よく寝ていたそうです。
小学5年生の時に、陸上を始めました。
元々体を動かす事が好きだったのと、小学生は足が速ければモテる傾向にあったので習い始めました。(笑)
小学6年生の頃には、リレー種目で数々の賞を頂き、運動会ではアンカーを務めクラスを優勝に導きました。

 

—–中学、高校時代は、どんな様子でしたか?

 

鈴木:スタントマンやアクション俳優といった職業がある事を知ったのは、中学1年生の時です。
中学の授業で「自分スピーチ」というカリキュラムがあり、自分の人間性や将来の夢についてまとめて発表しました。
その時に職業をいろいろ調べている過程で、知りました。
そして俳優を職業として認知すると同時に、僕が最もなりたい職業になりました。
幼い頃から仮面ライダーシリーズが好きで、アギト、クウガ、龍騎などに大きく影響を受けていた事も、背景としてあったと思います。

中学時代は、襟足ロングのスジ盛りという、少し前の髪型が流行り自分も例外なくその髪型にしていましました。
思春期ということもあり、少しヤンチャをしていましたが、皆勤賞を取る程学校自体は大好きでした。
友達に会いに行く感覚に近いです。
陸上部の活動が週6日、同じく陸上のクラブチームで週4日の練習を3年間こなしていたので、ヤンチャとは言いながら意外と真面目だったのかな?(笑)
中学二年の頃からネットゲームにハマり、パソコンゲームや携帯ゲーム機など様々な遊びをしていました。

高校生になると、陸上部のしきたりのようなものがあり、一度坊主にした事がありました。
人生初めての坊主でしたが、とても生活しやすかったのを覚えています・・・が、出来ることなら二度と坊主はごめんです!
高校の部活動を通して、今までの自分の価値観が大きく変えられる事が多くあり、今の人格形成は主にこの時期に作られていると思います。
高校3年生の時、念願だった全国大会に出場する事ができて、最高の形で陸上選手人生を終える事ができました。
仲間や顧問の先生、家族にはとても感謝しています。

—–中学1年生で俳優になることを目標にかかげ、そこから陸上で体を鍛えつつ夢を育み、俳優への第一歩を踏み出したわけですね。
文字通り、俳優への第一歩、JAE養成部のオーディションを受けた時の様子、エピソードなどお聞かせください。

 

鈴木:オーディション要項に、「運動能力を見ます」というような項目があって、僕はバク転などのアクロバットを一切して来なかったので、不安はありました。
自分のできることだけしかできないと覚悟を決めて、持てる力を全て出せるように、主にメンタル面を普段通り持てるよう意識していましたが・・・。
オーディション当日の会場では参加人数が想像より多く、この中から合否が決するのだと思うと、事前準備が水の泡になるくらい緊張してしまいました。
オーディション中は、どこか普段の自分とは別の人間のような気がして、正直当日の記憶がありません。(笑)
オーディション結果を待つ間は、主にバイトをして生活していました。
静岡から東京に来て、警察官を辞めてオーディションを受けた以上、絶対に落ちるわけにはいかないと思うと
、とても不安でした。

 

—–鈴木さんにとって、養成部での1年間は、どんな1年でしたか?

 

鈴木:僕の中で養成部時代の約1年間は、今まで感じたことの無い1年間でした。
1年間を終えて改めて、51期で良かったと心の底から思います!
そんなかけがえのない「同期」という人間関係を築くことができた1年でした。

コーチには、1年間とてもお世話になりました。
アクションやアクロバット未経験者の僕に、ゼロから教えるのはとても大変だったと思います。
それでも、1年間教えて頂いたおかげで少し自分に自信が持てるようになりました。
たくさん怒られましたが、今ではそれすらもいい思い出に変わっています。

 

—–授業内容はいかがでしたか?得意、不得意カリキュラム等、実際に授業を受けた感想を教えてください。

 

鈴木:得意と言えるほどでもありませんが、好きなカリキュラムは現代殺陣、時代殺陣、スタント、マットの4つでした。
現代殺陣は、子供の頃からの夢だった「体一つで表現する事」に一番近い授業でした。
殴る、蹴るというシンプルな動きですら、カメラの位置や舞台での立ち位置によってそのたびに変化していくので、とても奥が深く表演が難しいと思います。
殴る側ももちろん好きですが、殴られる側が上手いとより相手が上手く見えるので、養成期間中はやられ方の引き出しをたくさん作ることを意識していました。

時代殺陣は刀を使ったアクションになりますが、刀の間合いがある分、現代殺陣との距離感の違いに慣れるまでとても大変でした。
油断すると稽古段階ですら怪我をさせてしまう、怪我をさせられてしまう可能性もあるので、集中力を切らさないよう気をつけながら行っていました。
刀を振る速度や斬りかかる位置やタイミングを、主役がやりやすいように合わせる事がとても難しかったです。

スタントでは、高いところから飛び降りることに対して恐怖心が全くなく、楽しい気持ちで飛ぶことができました。
自分自身に対する気づきですが、高い所に苦手意識が無いと言うことがわかりました。
高さによって体を制御しなければいけないので、とても難しく大怪我につながりやすいものなので、集中力と正しく体を使うことを学びました。

マットは、とにかく苦労しました。
入所当初とても体が硬く、基礎運動ですらついていけない始末でした。
マットに限らず全ての授業に共通することですが、柔軟性が無いと全てにおいて綺麗に見えないので、今でも自分の課題になっています。日々の授業を通して、段々とできることが増えていくことに喜びを覚え、もっと高く、もっと綺麗になど、いい方に欲が出てくる自分がいて驚きました。

演技の授業では、自分が別の誰かになりかわって演技することに対して、苦手意識があることがわかりました。
今では苦手意識をほとんど克服し、アクション面にも演技を活かすことを覚え、演技の引き出しを増やすことができました。

 

—–これからの目標を教えてください。

 

鈴木:僕にしかできないオリジナルアクションを考案し、将来、誰かの目標になるような俳優を目指します。
映像、舞台共にたくさん出演して、有名になりたいと思います!


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