51期メンバー 杉森功明


【プロフィール】
名前:杉森功明(すぎもりこうめい)
所属:アクション部(東京)
所属期数:51期
誕生日:10月12日
出身地:岐阜県
趣味・特技:剣道2段/ヌンチャク/愛玩動物飼養管理士準2級/危険物取扱者乙種全類/全日本農業技術検定2級/ものまね/動画制作


【主な出演作】

◆TV◆
2021年:『機界戦隊ゼンカイジャー』アクションクルー

◆舞台◆
2021年:板橋文化会館『JAE養成部第51期研修生 卒業公演』出演


【インタビュー】

—–誰もが、職業を選ぶ時には色々と悩みます。
「なぜ俳優になろうと思ったのか?」「JAE養成部って、どんなところなのか?」など、これから俳優を目指そうと考えている方にとっては、杉森さんのお話は、貴重な体験談になると思います。
まずは、子供時代の杉森さんについて教えてください。

 

杉森:子供時代の僕は、水戸黄門等の時代劇やブルース・リー、ジャッキー・チェンさんの香港映画をよく観ていました。
特撮作品では、初代の「
仮面ライダー」や「ウルトラマン」から、「ウルトラマンA(エース)」までを観ていました。
小学生も高学年になると、特撮番組を観なくなる友達が増えてきましたが、私は逆に特撮にハマっていきましたね。
「轟轟戦隊ボウケンジャー」や「仮面ライダー電王」はリアルタイムで見逃しましたが、「侍戦隊シンケンジャー 」と「仮面ライダーW」からリアルタイム視聴していました。
ヒーローを真似て、エアーで戦って背落ちもどきみたいな事をしてました。(笑)
小さい時からふざけて、ギャグやったりモノマネやったり・・・。
周りの人から「将来は芸人だね」と、よく言われていました。

 

—–中学、高校時代はいかがでしたか?

 

杉森:中学時代の部活は、剣道部でした。
稽古中に覚えているだけでも、骨折を6回前後やってしまいました。
その度にレギュラーから外れてしまい、三年最後の試合も足を負傷してレギュラーから外れて、個人戦も一回戦負けと散々な結果でした。元々、身体は強くなかったのかもしれません。

高校進学時は、演劇部の強い学校を選びました。
一年生の時の部活動では上下関係がとても厳しくて・・・。
この時の経験が、後のJAE養成部に入った際に役立ちました。
演劇部では、全国大会優勝目指して三年間頑張りましたが、一年と三年の時は中部地区3位。
本命と目されていた二年の時は、なんと5秒のタイムオーバーで失格になってしまいました。(それまでは暫定一位でした。)
※農業鑑定競技という全国大会があったのですが、私も一年生ながら三年生に混じって県大会に出場し、二年で優秀賞を獲得。
最後の三年生では、まさかの解答欄ミスで校内予選敗退でした。

※日本学校農業クラブ連盟の競技。 農業に関する知識・技術の成果を鑑定・判断・診断・審査技術にわたり、その実力を競い合い、職業的な能力を高めることを目的としている。

高校では、昆虫の研究もしていました。
その研究班が僕一人で、論文も研究も課外活動も全部一人でやっていました。
部活の都合で、3年生の2月まで卒業論文を先延ばしにしていたので、友達が卒業旅行等の休みを満喫している間、私は研究室でずっとパソコンとにらめっこという状況でした。(笑)
休みを返上して提出した卒業論文のテーマは、昆虫食です。

 

—–昆虫食は、一昨年くらいからTVでもよく話題になっていますよね?
具体的には、どんな研究をされたのですか?

杉森:このまま世界の人口が増え続け、食料問題が深刻になれば栄養価が高い昆虫食の時代が必ず来ると仮説を立てて、一人で昆虫加工品の開発に取り組みました。
実際に試作したのは、食べるラー油「イナゴ辣油(らーゆ)」です。
素揚げしたイナゴに、揚げニンニクやテンメンジャンを加えて味を調え、食べやすい味に仕上げました。
高校の農産物即売会で来場者に振舞いましたが大好評で、地元のTVや新聞社の記事にもなり、すごく嬉しかったのですが・・・。
研究班は僕一人。
受け継ぐ後輩は一人もおらず、そこで研究は終わりました。残念でした。(笑)

 

—–「危険物取扱者乙種全類」等、資格をお持ちですが、高校時代に取得されたのですか?

 

杉森:演劇部だった時、照明とか音響とか自分達でやってたので、もしかしたらJAEのメンバーになった時に、爆発とか仕込みの手伝いをするときに役立つかも?と思ったので、危険物取り扱い免状を全類、高校時代にとりました。
僕の高校時代は、目標達成できなかった事もありましたけど、将来に向かって色々な事にチャレンジできたので、青春って感じは少なかったですがとにかく濃く、楽しい三年間でした!

 

—–高校卒業後、俳優という職業を目指したきっかけや、背景などを詳しく教えてください。

 

杉森:目指した理由は、幼い頃からアクションが好きだったからです。
それから僕は、「いじめられっ子」だったので、学校に行くのがとても嫌な時期もありました。
それでも学校には休まず通い、前を向いていられたのは、アニメや特撮のキャラクターが僕の心の支えになっていたからなんです。

「彼らのように、どんな困難にも立ち向かい、優しく強い心をもたなければいけない!」
「彼らの様に生きたい!」と、その憧れが自分を奮い立たせていました。
特に僕の人生にとって、一番影響を与えた作品が「仮面ライダー龍騎」なんです。
ライダー達の正義や人間臭い生き様は、僕の心の中に深く刻まれました。
「このようなヒーロー番組のように、人の心に一生刻まれる物語の一員となりたい。」
そうして僕は、役者になりたいと思いました。

役者になりたいと思い始めた当初は、自分の顔を出したくないと考えていました。決してイケメンでもないですし。(笑)
自分はアクション好きで、常にオーバーリアクションな人間なので、変身後を演じるのに向いている、演じたい!と、ずっと思い込んでいました。
そこで、小学校の道徳で福本清三さん(俳優、元東映京都撮影所所属。50年以上に渡り、時代劇・現代劇を問わず「斬られ役・殺され役」を演じ、「5万回斬られた男」の異名を持つ。)の本を読んだり、ライダー関連で高岩成二さんを見てJAEを意識し始めました。
しかし、勉強のため入部した演劇部で活動しているうちに、演じる事の楽しさや日常会話ではなく舞台の上で客席から笑いが起きた時の快感を知りました。
この頃から徐々に自分の気持ちも変化していき、顔を出して役者としてもやりたい、変身前の方をやりたいと思うようになりました。
俳優の佐藤二朗さんや、声優の千葉繁さんの芝居、ハリウッドザコシショウさん達に憧れを持ちました。
特にJAEに入れば、大葉健二さんや佃井皆美さんのように、変身前も後もできる可能性があると思って決めました。

 

—–高校での研究も評価され、進学はお考えにならなかったのでしょうか?

 

杉森:正直に申し上げて、高校三年生での研究が評価され、研究に対する自分のモチベーションも上がっていましたので、大学に行って昆虫の研究を進め起業しようと企んでいましたが、家庭の事情で断念しました。
同様の理由で俳優の道へ進むことも厳しくなりましたが、「これだけはやらせてほしい!」と、家族を説得しました。
きっと大学に進んでいても、役者になる夢は捨てられなかったと思うので、この選択で良かったと思いますし後悔はありません!

 

—–養成部のオーディション受験にあたり、思い出に残っていることはありますか?

 

杉森:ずっと僕と二人暮らしだった母が、一緒に上京しようとしてきたので、説得したことですね!(笑)
あとは、
オーディション前日の深夜、酷い腹痛で寝込んでしまいました。緊張していたのかも?
当日の朝は、回復していたので良かったです。
合格通知が届いた時は、走って職員室まで行って合格通知をバシッと広げました。(よく見る裁判所からダッシュして「無罪」って紙を広げてる絵に似た状況です。)
その後、研究を担当してくれていた先生が餞別として、鹿肉とイナゴを大量にくれました。(笑)
先生や先輩、家族からは、「貪欲にいきなさい!」とアドバイスもらいましたね。

 

—–杉森さんの養成部時代は、どのように過ごされていましたか?思い出のエピソードなどありましたら、教えてください。

 

杉森:入所した当初、同期から一番年上だと思われてました。(笑)
実は、僕が一番年下だという事がわかると、みんな驚愕していましたね!
僕って、そんなに老け顔ですか?(笑)

養成部時代、僕は仲間に支えられました。
僕ら51期は、歴代のメンバーの中でも際立って仲が良いらしいです。
中国武術やアクロバットを、尾野透雅(おのゆきまさ)や川合立統(かわいりゅうと)に教えてもらったり、鈴木翔流(すずきかける)や菅野充(かんのみつる)にアドバイスもらいました。
僕が挫けそうになると、「お前にはお前の良さがあるし、その演技やアクションは真似できないよ!」と同期が励ましてくれました。
剣道をやっていたので時代殺陣は自信あったのですが、全然ダメでした。

初めて仲間とアクション動画を撮って観た時は、自分のダサさに衝撃をうけましたね。(笑)
現代殺陣の蜂須賀昭二さんに、「ふざけてるようにしか、みえないんだよなぁ~」と、苦笑いされた理由を理解しました。
養成部時代はよく動画を作っていて、動画制作が趣味になりました。
マット運動の授業では、独学でバク転等を練習したのが仇となり、変なクセがついていて直すのに苦労しました。
マット運動の授業が皆一番キツかったと思いますが、コーチの指導や動きがカッコよくて、憧れを抱いていました。
僕のモノマネは、同期から「天才」と言われるほど好評でした。
喜多川2tom先生から、「人の真似は凄く大切だ。」と言われた時には、「モノマネは武器になるんだ!」と気づきました。
コーチをはじめ、講師の皆様には本当に感謝しています。

休みの日は、アニメやゲームをして過ごしていました。
アニメは、「ひぐらしのなく頃に業」「五等分の花嫁」「鬼滅の刃」等のアニメが流行っていて、「Re:ゼロから始める異世界生活」に出会い沼にハマりました。
ゲームは、「モンスターハンターRIZE」「大乱闘スマッシュブラザーズspecial」で同期とよく遊びました。
糠信圭佑(ぬかのぶけいすけ)くんとは、同じジャッキー好きとして「一緒に香港修行に行こう!」とか話ました。
菅野充くんとは、「五星戦隊ダイレンジャー」の名乗りを、よく一緒にやりましたね!

 

—–今後の抱負、目標、願望など、思いっきり語ってください。

杉森:負け続きだった僕ですが、なんとかここまで辿り着きました。
自分を信じて支え応援してくれた人々と、過去の自分に報いれるよう少しずつ夢を叶えていきたいです!
アクションでは、日本の古流武術や中国武術、武器として鎖鎌を扱えるように精進したいです。
スーツアクターはもちろん、変身前も演じられるよう頑張ります!
声優やモーションアクター、2,5次元舞台など、やりたい物はたくさんあるので、ハングリー精神MAXで行きたいと思います。
ちょっと高望みしすぎかもしれませんし、正直カッコいいヒーローになれるかわからないですが、自分なりの演技やアクションで人の心に希望や笑いを届けられるようにします。

僕の演技に誰かが笑ってくれて、心の支えになればと。
もちろん、悪役でも人の心に残るような存在に!
むしろ、そっちの方が向いてるんじゃないかと?同期も僕も思っています。(笑)
そしていつか、ボランティア活動なども行い「真のヒーロー」になれるよう頑張ります。
応援よろしくお願い致します!
最後に、僕の心の支えとなった言葉をお伝えします!

 

「優しさを失わないでくれ。弱い者を労り、互いに助け合い、何処の国の人達とも友達になろうとする気持ちを失わないでくれ。たとえその気持ちが何百回裏切られようとも・・・。」
(出典:ウルトラマンA最終回/第52話/Aが子供たちに残した言葉より)

 

以上です、ありがとうございました!


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