中野高志 舞台俳優・ミュージカル俳優として渡り歩きたい!


【プロフィール】
名前 中野高志(なかのたかし)
所属 アクション部(東京)
所属期数 37期
誕生日 1月27日
出身地 兵庫県
趣味・特技 剣道、絵画


【主な出演作】
◆舞台◆
2020年:新橋演舞場『虎者 NINJAPAN 2020』(構成・演出 滝沢秀明)アンサンブル
2020年:三越劇場『イケメン源氏伝 あやかし恋えにし~義経ノ章~』(脚本・演出 伊勢直弘)アンサンブル
2018~2019年:帝国劇場『JOHNNYS’ King & Prince IsLAND』(作・構成・演出 ジャニー喜多川)アクションコーディネーター
2019年:梅田芸術劇場『Endless SHOCK 2019』(作・構成・演出 ジャニー喜多川)アンサンブル
2019年:電通四季劇場 海『アラジン』(演出・振付 ケイシー・ニコロウ)アンサンブル
2019年:帝国劇場『Endless SHOCK(主演 堂本光一)』(作・構成・演出 ジャニー喜多川)アンサンブル
2019年:南座『南座新開場記念 新作歌舞伎 NARUTO-ナルト-』(脚本・演出 G2)アンサンブル
2018年:新橋演舞場/御園座『滝沢歌舞伎2018(主演 滝沢秀明)』(作・構成・演出 ジャニー喜多川)アンサンブル
2018年:新橋演舞場『新作歌舞伎「NARUTO-ナルト-」』(脚本・演出 G2)アンサンブル
2018年:帝国劇場『JOHNNYS’ Happy New Year IsLAND』(作・構成・演出 ジャニー喜多川)剣舞指導
2017年:帝国劇場『JOHNNYS’ YOU&ME IsLAND』(作・構成・演出 ジャニー喜多川)アクションコーディネーター

◆映画◆
2020年:『滝沢歌舞伎 ZERO 2020 The Movie』(監督 滝沢秀明)出演
2012年:東宝『BRAVE HEARTS 海猿』(監督 羽住英一郎)乗客 役
2011年:東宝『WILD7』(監督 羽住英一郎)SIT/刑事 役
2011年:松竹『さや侍』(監督 松本人志)捕り方 役

◆TV◆
2020年:CX『絶対零度~未然犯罪潜入捜査~』アクションクルー
2018年:CX『絶対零度 未然犯罪潜入捜査 最終話』警察官僚 役
2015年:NHK『紅白が生まれた日』溺れる人々 役


【インタビュー】
——現在、舞台を中心にご活躍されている中野高志さんのインタビューです。
まずは、子供時代の中野さんについて教えてください。

中野:生後8か月で歩きはじめて、動き回る、落ち着きがない子供だったようです。
小学生の時は、とにかく怪獣好きでした。特にウルトラマンやゴジラが好きで、ゴジラの映画は良く見ました。
小学5年の頃からは、友達とゴジラの映画を観に行くようになって、子供心に大人になったら特撮の作品に携わりたいと考えていました。
ドラゴンボールも好きになって、この頃から芸能界やアクションに興味を持ち始めたと思います。
スポーツは特にやっていませんでした。
親にやらされる形で学習塾やスイミングスクールに通った記憶はありますが、すぐに辞めてしまいました。
友達と外で遊ぶのが日課で、当時流行っていたのはドッジボールです。
それと竹や木を使って武器を作ってのごっこ遊びや、木に登ったり山で遊んだりしていました。

 

——中学時代はいかがでしたか?

 

中野:中学時代もゴジラはずっと好きで、1995年に公開された「ゴジラvsデストロイア」で平成ゴジラシリーズが一旦終了してしまいましたが、その後は、ハリウッド版ゴジラや東宝特撮シリーズまで幅を広げて楽しんでいました。
陸上部に入部しましたけど、活躍したと言えるほどの成績はないですね。
まぁ、やんちゃな中学生でした。

 

——高校時代は、いかがでしたか?

 

中野:剣道部に入部しましたが、剣道が自分的にはハマりました。普通に、勝負に勝つか、負けるかが楽しかったです。
高校生活は、楽しさ半分、まじめ半分で自由に過ごせた思い出があります。
将来の進路として映画業界や芸能系を目指す際に役立つと思い、画塾(アトリエ)に通ってスキルを高めました。
そこではパース、陰の付け方などデッサンの基礎を学んだり、絵コンテを描いたりしながら、芸術系の大学を目指しました。

——大学時代について教えて下さい?

 

中野:地元の芸大の映画コースに進学して、映画制作を中心に勉強しました。
志を同じくする仲間達と、作品を作り合って切磋琢磨していました。
私はアクション映画を中心に撮っていました。
最初に撮ったのが、オリジナルの特撮番組で、30分ほどのパイロットフィルムでした。
その他にも、地元のアクションチームにコンタクトして、ワイヤーアクションありの剣道アクション映画を撮ったりもしました。
自分も出演する事がありましたが、どちらかというと出演側ではなく、制作側の目線でやっていました。

 

—–JAEのメンバーになる前に「株式会社特撮研究所(映画やテレビ作品のSFXやVFXを手掛ける会社)」に所属されたことがあるそうですが、どんな経緯で所属されたのですか?また、どんなお仕事を担当されていたのかお話いただけますか?

 

中野:仮面ライダーやスーパー戦隊を見ていた時に、「特撮研究所」という社名がクレジットされていて会社の存在自体は知っていたので、大学の卒業が近づき進路を考えた時に直接電話して、「御社で働きたいです!今からでもいけます!」と伝え、自分のプロフィールと作品を会社に送り、仕事場の見学に伺いました。
後日、入社できる事になりまして、ウルトラマンの撮影現場やテーマパークのパレード制作を経験させていただいた後に、マジレンジャーの現場から特撮研究所の助監督として現場に入りました。
トータルで、1年位いました。楽しく、いろいろな作品に参加させていただきました。

 

—–助監督時代は、どちらかと言えば制作側として関わっていらっしゃったのに、何がきっかけで俳優を目指す事になったのですか?

 

中野:撮影現場のリハーサルで、吊りの検証でスーツの中に入ってくれと言われ、ヒーロー役で検証に参加しました。
その体験がとても感動的で、その後も爆発の検証のリハーサル等でスーツの中に入る事が増えてきて、アクター側の目線で現場を見るようになってきました。
このころから、アクターに興味を持ち始めました。
制作側としてこのままいくべきか?
それともアクターに転向すべきか?
気持ちが揺らいでいたのですが、次の現場「日本沈没(2006年公開)」で精一杯助監督で仕事をこなして、それでもアクターへの興味が続くようなら、転向しようと覚悟を決めて仕事に取り組みました。
結果、アクターへの思いが途切れる事が無くて、師匠であった監督に謝り、JAEに進むことを決めました。
特撮研究所の方々には、本当にお世話になりました。JAE養成部の卒業公演にも観に来てくれて。
その後の戦隊の現場でも、お会いすると和気あいあいと近況報告したりして、懇意にお付き合いさせていただいています。

 

——JAE養成部に入ってみて、どんな印象でしたか?

 

中野:助監督時代に、一緒の現場だったJAEメンバーから話は聞いていましたが、想像以上に精神的、肉体的に厳しい場所だと思いました。
入所当初は同期が40人位いましたが、卒業公演時には15人程度にまで減っていましたし。
でも私は上京してきて、監督の弟子を辞め覚悟を決めて入所してきたので、辞めようと思った事は一度もありませんでした。
辞めていった理由は人それぞれで、やむ負えない事情もあったと思いますが、辞める人と続けられる人の差の1つは、この世界に身を置く覚悟の強さだと思います。

授業では、マット運動が一番辛くて、特にコーチが厳しかったです。
スタントとマット運動の授業の日は、憂鬱でした。雨が降ると屋外でのスタントの授業が中止になるので、嬉しかったですねー。(笑)
私達37期は仲が良かったです。
夏には海にいったり、自主練習を一緒にやったり、同期に恵まれました。

今でも思い出す大失敗が、「37期スカウター事件」です。
同期はドラゴンボール好きが多くて、ある同期が授業日に「スカウター(作中に登場するメカ。検知対象の戦闘力などを解析して数字で表示する。)」の玩具を持ってきたんです。
それでみんなで、授業開始前のアップの時間に遊んで盛り上がり大騒ぎしてしまって!
隣の部屋で筋トレをしていたコーチが異変を感じたらしく、私たちがバカ騒ぎしているのを発見し、激怒されました。
「お前ら何しにここに来ているんだ!出ていけ!お前ら今すぐ出ていけ!」と。(汗)
冬の寒い日に稽古場に残って、女子が授業を受けている傍に直立不動で立ち、1日中コーチに謝り続けて許してもらった事がありました。

 

——初仕事の様子を教えてください。

中野:仮面ライダー電王と、獣拳戦隊ゲキレンジャーの撮影現場の補助でした。
補助とは、先輩俳優の皆さんのスーツや甲冑の着付けのお手伝い。暑い日は飲み物を用意したり、タオルを出して汗を拭いたり、アクションシーンに使うトランポリンやマットを持ってきたり。
補助に慣れてきた頃に、まずは敵役の兵隊から出演がスタートします。いつ自分たちの出演の出番が来るかと、ギラギラしていました。

以前、助監督という立場で現場に携わっていた頃には分からなかった事が、多くあることにも気づきました。
「役者は待つ事も仕事のうち」という言葉があるのですが、助監督時代に午前中あるレジェンド級の役者さんを待たせて、結果、撮影のスケジュールの都合で全く出番なく帰っていただいた事がありました。
その当時は、すごく申し訳ないなと思ったのですが、待つだけでもギャラが支払われる事を知って、「待つ事も仕事」の意味を知り納得しました。
同じく助監督時代に、JAEの若手メンバーが「シャンプーが無い!!」と慌てていたので、たまたま持っていた私物を貸したことがありました。
「なぜ、そんなに大騒ぎするほどシャンプーが必要なのか?」と疑問に思っていましたけど、今なら良くわかります。マスクの曇り止めには、シャンプーが一番効果的ですから。

 

——現在は舞台のお仕事が多いようですが・・・?

 

中野:以前、ブロードウェイミュージカル ピーターパン(2008年 – 2016年、東京国際フォーラムほか) のインディアン 役のオーディションに合格して出演してから、舞台の魅力に心奪われた感じです。
現在は2021年の1月末まで帝国劇場で公演中の、「DREAM BOYS」に出演しています。
また来年6月、JR東日本四季劇場「春」で開幕予定の「アナと雪の女王」スヴェン役として出演候補として選ばれました。

舞台やミュージカルは、自分が舞台の上に立っている、自分が生きている、自分自身の作品への貢献度を感じられることが大きくて、歌って、踊って、アクションしている時は、どの人とも対等の立場にいることを実感できます。
縁あってジャニーズさんの舞台にも出演することができて、今は舞台の世界を自分の活動の中心にしたいと強く思っています。

 

—–中野さんのご経験から、JAEの後輩や、これから俳優を目指そうとしている人たちに対して、何かアドバイスをいただけますか?

 

中野:私はJAE所属ですが、舞台を経験してからアクションとスタントだけでこの業界にとどまるのではなく、歌とダンスにも力を入れて自分の活躍の場を広げたいと考えました。
「中野は、歌やダンスができない。」とだけは、絶対に言わせないと努力しました。
結果、その努力が実を結んで、既に来年1年分の仕事をオーディションで勝ち取れたので、有言実行できているかなーと思います。
業界内でJAEの看板力は大きいですから、本人にある程度の実力があればお仕事をいただける場合もあります。
でもそこで自分の力を過信することなく、JAEメンバーだからこそ優遇されているという危うさに気付き、俳優としての実力を磨くことを怠らない事です。

舞台に出演中は応援されると嬉しいですし、感動もありますが、私は「これは作品力、主役の魅力の賜物」と考え、油断せずに自分磨きを心掛けています。
「常に自分の力で、オーディションで仕事を取る」という気構えは必要だと思います。
JAEの看板に頼らず、自分の力だけで、どこまでやれるかを考える必要があると思います。すると、やるべきことも見えてくるはずです。
今の仕事や経験を、次の仕事にどうつなげるか?と、思考する事も重要です。
俳優としての、自分の居場所を獲得していく事が重要ですね。
新しい世界に挑戦しようとする気持ち、冒険しようとするチャレンジ精神を持ち続ける事が必要だと思います。

 

——今後の抱負、野望、目標などありますか?

 

中野:中野高志、個人として仕事を獲得できるような実力をつける事です。
アクション、スタントマンとしてだけではく、舞台俳優、ミュージカル俳優の中野高志として業界を渡り歩けるようになりたい。
将来的には、歌やダンスと絡めたアクションコーディネーターとしても活躍していきたいと思います!